弁護士 合田雄治郎

合田 雄治郎

私は、アスリート(スポーツ選手)を全面的にサポートするための法律事務所として、合田綜合法律事務所を設立いたしました。
アスリート特有の問題(スポーツ事故、スポンサー契約、対所属団体交渉、代表選考問題、ドーピング問題、体罰問題など)のみならず、日常生活に関わるトータルな問題(一般民事、刑事事件など)においてリーガルサービスを提供いたします。

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「指導者による暴力等の不適切な行為をなくすために③〜体罰と暴力等不適切行為〜」

1 はじめに

「指導者による暴力等の不適切な行為をなくすために」と題し、第1回目は「相談件数の増加について」、第2回目は「暴力等不適切行為とその行為者類型」を述べてきました。

 

今回は、これまで述べてきた「暴力等不適切行為」と対比しながら、「体罰」に焦点を当てます。一般に、「体罰」は、「暴力等不適切行為」とほぼ同じ意味で使われています。しかし、法的には、両者は異なるものだといえます。今回はこのことを詳しく説明していきたいと思います。

 

2 体罰とは

「体罰」という文言は、学校教育法11条「校長及び教員は、教育上必要があると認めるときは、文部科学大臣の定めるところにより、児童、生徒及び学生に懲戒を加えることができる。ただし、体罰を加えることはできない。」に登場します。

 

この規定から、校長や教員(以下、「教員等」)は懲戒権を有していること、教員等は「体罰」を加えてはならないことが分かります。これらのことから、「体罰」は、行為者に懲戒権を有することを前提として、懲戒権の範囲を超えた行為に使われる文言だということになります。

 

ここで「懲戒権」についても触れておきます。そもそも「懲戒」とは、不当・不正な行為を再び繰り返さないよう制裁を加えることをいいます。そして、法律上、懲戒をする権限である「懲戒権」を有するのは、教員等および親権者(民法822条)のみです。したがって、教員等が教育の一環として懲戒を加えること、あるいは親権者が子の監護・教育の一環として自らの子に懲戒を加えることはできても、それ以外の者は一切の懲戒をすることができないのです。

 

スポーツの現場で、たとえば部活動において教員等が指導者として懲戒権を行使することは多々ありえますが、指導者が親権者であり、自らの子のみに監護・教育の一環として懲戒を加えること(他の子に対しては当然懲戒権を有していません)は極めて稀といえるので、本欄では懲戒権を有する者として、教員等のみについて考えます。

 

3  どのような行為が体罰にあたるか

体罰が法的に上記のように考えられるとして、具体的にどのような行為が体罰にあたるのでしょうか。

 

この点について、文部科学省が、通知「問題行動を起こす児童生徒に対する指導について」(平成19年2月5日初等中等教育局長通知(18文科第1019号))により、以下のように定めています。

「教員等が児童生徒に対して行った懲戒の行為が体罰に当たるかどうかは、当該児童生徒の年齢、健康、心身の 発達状況、当該行為が行われた場所的及び時間的環境、懲戒の態様等の諸条件を総合的に考え、個々の事案ごとに判断する必要があり、その懲戒の内容が身体的性質のもの、すなわち、身体に対する侵害を内容とする懲戒(殴る、 蹴る等)、被罰者に肉体的苦痛を与えるような懲戒(正座・ 直立等特定の姿勢を長時間にわたって保持させる等)に当たると判断された場合は、体罰に該当する。」

 

この文科省の「体罰」の定義は極めて分かりづらいものとなっていますが、要は、ある程度の指針は示せるが最終的には事案ごとに状況を踏まえて総合判断しなければならないということです。そしてこの定義を踏まえて、東京都「体罰の定義・体罰関連行為のガイドライン」によれば、教員等による「腕をつかんで連れ歩く」「頭(顔・肩)を押さえる」「体をつかんで軽く揺する」「短時間正座をさせて説諭する」といった行為は、その他に特段の事情がなければ、懲戒権の範囲内であり、体罰には該当しないということになります。

 

4 体罰と暴力等不適切行為との相違

さて、上に述べた「体罰」と前回まで説明してきた「暴力等不適切行為」との相違はどこにあるのでしょうか。

 

ひとつは、同じ行為でも、行為者が懲戒権を有しているか否かにより、体罰であるか否か、が異なります。すなわち、法的には、体罰は懲戒権を有する者しかなしえないのであり、街のスポーツクラブの指導者が暴力を振るっても、それは体罰ではなく、単なる暴力であるということになります。一般的には、懲戒権を有しない指導者の不適切な行為を体罰と表現されることも多いですが、法的に厳密に言うと、正しくないということになります。

 

もうひとつは、教員等の行為が、懲戒権の範囲内であり、不適切といえない場合でも、懲戒権を有していない者が同様の行為を行えば、それは不適切であるとされる可能性があるということにあります。よって、懲戒権を有しない指導者の不適切な行為の範囲は、体罰とされる行為の範囲を包含する、より広い範囲であると言えます。

 

5 まとめ

重要なことは、懲戒権の範囲内であるとされる、教員等による「腕をつかんで連れ歩く」「頭(顔・肩)を押さえる」「体をつかんで軽く揺する」「短時間正座をさせて説諭する」などの行為も、懲戒権を有しない指導者が行った場合、不適切な行為とされる可能性があるということなのです。このことから、懲戒権を有しないクラブチームの指導者は、その意味で教員等よりも指導として行える行為の範囲は狭く、被指導者に対して制裁(懲戒)を加えることはできないということを肝に銘じなければなりません。

 

次回も続いて、この問題について検討したいと思います。

 

 

 

 

民事法上の違法と刑事法上の違法

1 日大アメフト事件に関して、数社の報道機関から取材を受けました。取材の主題は、タックルをした日大選手に、刑事責任あるいは民事責任が生じるか、というものでした。

記者の方の取材に応じる中で、「違法の相対性」や「法秩序の統一性」について、説明する必要性を痛感しました。

 

2 ある行為に関して、民事法上の責任と刑事法上の責任とが各別の手続きにより問われ、結果的に、民事法上の責任の有無と刑事法上の責任の有無とが一致しない場合があります。

このような相違は、民事法における違法の評価と刑事法における違法の評価との不一致が原因のひとつとなっていることがあります。

では、そもそも、このような違法の評価の不一致が許されるのでしょうか。

 

3 法秩序は可及的に統一的であるべきことを理由として、民事法における違法の評価と刑事法における違法の評価とは一致すべきであるべきだという主張があります。

しかし、民事法における要件・効果と刑事法における要件・効果が異なること、刑事法の補充性・謙抑性として刑罰は最後の手段として補充的に用いられるべきであることからして、違法の評価はできるだけ統一的であることが望ましいものの、民事法で違法と評価されても、刑事法では違法と評価されないこともあり得ると考えるべきです。

なお、民事法上は適法であっても、刑事法上は違法であることを認める立場もありますが、刑法の補充性、謙抑性から、少数説に止まっています。

 

4 以上に述べたことを、日大アメフト事件に関連して検討をしてみます。

実際には、日大選手は、クォーターバックに怪我をさせようとして(本人の記者会見でそのように述べています)反則行為であるタックルに及んでいるため、民事法上も刑事法上も違法であると評価され、責任を負う可能性が高いといえます。

これに対して例えば、日大選手が、クォーターバックがパスをした直後に怪我をさせる意図(故意)がなくタックルをして怪我をさせてしまった場合で、日大選手はタックルをすることを避けようと思えば避けられたケースでは、どうでしょうか。

このケースについて民事法上の責任を考えると、日大選手はパスをした直後とはいえ、ボールを持っていないクォーターバックにタックルしており、その上タックルを避けようと思えば避けられるケースであるため、違法と評価されて(違法性は阻却されず)、過失も認められ、責任を負う可能性があります。これに対して、刑事法上は、先ほど述べた刑事法の補充性、謙抑性の観点から、違法と評価されず、責任を負わない可能が高いと思われます。

このように、民事法上は違法と評価されても刑事法上は違法と評価されない場面が出てきます。

 

5 市民生活を送る上で、違法と評価される行為は、民事法上も刑事法上も統一的であることは分かりやすいですし、望ましいといえます。

しかし、民事においては殆どの場合に最終的に金銭の支払により解決されるのに対し、刑事においては懲役・禁錮(場合によっては死刑).などの重大な刑罰を科せられることを考えれば、この違法の評価の相対性はやむを得ないものといえるのではないでしょうか。

 

 

 

指導者による暴力等の不適切な行為をなくすために②〜暴力等不適切行為とその行為者類型〜

 前回は、暴力等不適切行為の発生件数や相談件数について述べました。今回は続いて、暴力等不適切行為とは何であるか、暴力等不適切行為に及ぶ行為者の類型について述べます

 

2 暴力等の不適切な行為とは

暴力等不適切行為には、暴力、暴言、ハラスメント、その他の不適切行為がありますが、それぞれについて見ていきます。

(1) 暴力

暴力は刑法上の「暴行」に該当します。そして「暴行」とは、不法な有形力の行使を指し、殴る、蹴る、叩くなどが典型例で、その他にも、髪の毛を切る、部屋の中で日本刀を振り回す、あるいは石を相手に向かって投げつける(石が当たらない場合も含む)などの行為が「暴行」に該当するとされています。このような行為を行えば、暴行罪の成立の要件(構成要件)に該当するため、極めて例外的な事情(正当防衛など)がない限りは、刑法犯として処罰の対象となります。そして暴行の結果、怪我をさせた場合には傷害罪に該当することになります。

因みに、暴行罪の法定刑は2年以下の懲役又は30万円以下の罰金等であるのに対し、傷害罪の法定刑は15年以下の懲役又は50万円以下の罰金となり、ぐっと刑罰が重くなることがわかります。

(2) 暴言

暴言は、原則として刑法犯ではありませんが、言葉による暴力として相手の心を傷つけるものですから、当然に許されません。

暴言の内容については、人格を否定する「お前は本当にバカだな」「人間のクズだ」「きもい」、身体的特徴をけなす「ちび」「デブ」、相手を威嚇する「殺すぞ」「ぶっとばすぞ」「しばくぞ」、自尊感情を傷つける「お前みたいなやつはダメだ」、その他差別的内容の発言などがあります。

(3) ハラスメント

ハラスメントとは、他者に対する発言・行動等が、行為者の意図には関係なく、相手を不快にさせたり、尊厳を傷つけたり、不利益を与えたり、脅威を与えたりすることを指します。

ハラスメントには多くの種類がありますが、スポーツの現場では、セクシャル・ハラスメント(セクハラ)、パワー・ハラスメント(パワハラ)が主として問題となります。

セクハラとは、相手が不快に思い、又は相手が自身の尊厳を傷つけられたと感じるような性的発言や性的行動を指します。

パワハラとは、地位や人間関係などの優位性を背景に、上下関係の適正な範囲を超えて、精神的・身体的苦痛を与える又は周囲の環境を悪化させる行為を指します。

ハラスメントは、「行為者の意図とは関係なく」という点がポイントとなります。行為者が良かれと思って行った言動でも、相手方が嫌だと思えばハランスメントとなります。

(4) その他の不適切な行為

その他の不適切な行為として、他者がいるところで過度の叱責を行うこと、長時間にわたって留め置くこと、能力を超えた練習をさせることなどがあります。

なお、これらの不適切な行為については、指導者と被指導者という関係性からは、パワハラに該当するともいえるでしょう。このことからも分かるように、パワハラに該当する言動の範囲は相当広く、その境界線は曖昧であるといえます。

また、懲戒権については次回に詳しく触れますが、懲戒権の範囲内であるとされる、「腕をつかんで連れ歩く」「頭(顔・肩)を押さえる」「体をつかんで軽く揺する」「短時間正座をさせて説諭する」(東京都「体罰の定義・体罰関連行為のガイドライン」より)などの行為も、懲戒権を有しない指導者の場合、不適切な行為とされる可能性があります。

 

3 暴力等不適切行為に及ぶ行為者類型

(1) 暴力等不適切行為に及ぶ行為者のタイプは4つに分類できるとされ、その4類型とは、①確信犯型、②指導方法不明型、③感情爆発型、④不適切行為嗜好型です(「スポーツにおける真の勝利」エーデル研究所・24頁参照)。

(2) 暴力等不適切行為に及ぶ行為者の4類型

① 確信犯型

暴力等不適切行為を行うことが悪いことではなく、むしろ良いことだと信じているタイプです。なお、「確信犯」は、よく誤解されて、悪いことだと確信しながら犯罪に及ぶ犯罪者を指すと思われていますが、正しくは、良いことだと確信して犯罪に及んでしまう犯罪者のことをいいます。指導の現場では、いまだにこのタイプが少なからず存在します。

② 指導方法不明型

本来、暴力等不適切行為を行わなくても、適切な指導のもと、結果を出すこともできますが、そのような指導方法が分からないため、場合によっては即効性のある暴力等不適切行為に及んでしまうタイプのことをいいます。このタイプの指導者も、現場では少なくないでしょう。

③ 感情爆発型

よく「怒る」と「叱る」とは異なると言われますが、感情爆発型は前者の「怒る」タイプで、自らの感情をコントロールできないタイプを指します。

④ 不適切行為嗜好型

稀にではありますが、不適切行為を嗜好するタイプも存在します。特に、小さな子どもに対し、わいせつな行為をしたり、暴力等により虐待したりすることを嗜好する者がいます。

⑤ 混合型

上記①~④が複数混合したタイプも多いと思われます。

(3) 類型別の対策

①②に対しては、正しい知識を得させた上で、指導の本質を理解させる必要があります。

③に対しては、研修やセラピーにより、感情を制御できるよう、アンガーマネジメントを習得させる必要があるでしょう。

④に対しては、嗜好を改めさせる困難性から考えると、子供を守るという観点(チャイルドプロテクション)から、そのような者を指導者とさせない、という対応もあり得ます。

⑤に対しては、先に述べた対策をミックスして対応することになります。

 

次回以降も、指導者による暴力等不適切行為を根絶するための方策を探っていきます。

 

 

 

指導者による暴力等の不適切な行為をなくすために① 〜相談件数の増加について〜

1 本欄では、指導者による暴力、暴言、パワハラ、セクハラ等の不適切な行為(以下「暴力等不適切行為」)をなくすための方策等について、何回かに分けて考えていきたいと思います。

 

私は、(公財)日本体育協会(‪2018年4月1日からは「日本スポーツ協会」に改称されます。)における「スポーツにおける暴力行為等相談窓口」の運営に関わっていますが、そこに寄せられる暴力等不適切行為の相談件数は微増しています。

 

2 2012年に起きた大阪市立桜宮高校の男子バスケットボール部のキャプテンが指導者の暴力等不適切行為により自殺した事件、および同年に女子柔道日本代表選手が代表監督の暴力等を告発した事件を契機に、スポーツ界から暴力等不適切行為を根絶することが叫ばれ、各スポーツ団体に暴力相談窓口が設置されたり、指導者研修会における啓発活動がなされたりしました。

それにもかかわらず、相談件数が増えており、この理由等について以下で考えます。

 

3 なお、このように相談件数が増加しているからといって、暴力等不適切行為の発生件数までもが増加していると捉えることは早計だと思われます。

その理由は、私自身が指導者研修等で講師を担当した際に受講者の反応をみる限り、指導者側での意識が相当程度高まっていること、発生件数の把握は下記に述べるように容易ではなく、必ずしも相談件数が増えたからといって、発生件数が増えたとまでは言えないことにあります。

 

4  私は、相談件数の増加理由として、発生件数が増えたからというよりは、これまでなら泣き寝入りしていたであろう被害者が告発し始めたことによるものと考えます。

ちなみに、被害者が告発せずに泣き寝入りしていた原因として、以下が考えられます。

一つは、告発することで、加害者が告発者や被害者に対してより暴力等不適切行為を強めることを恐れて、被害者が告発することを躊躇うこと、もう一つは、仮に然るべき責任者、スポーツ団体、学校(以下「被告発者」)などに告発したとしても、加害者が被告発者に近いことも多く、被告発者は加害者から事情を聞いて、調査を終えてしまうことも少なくないことです。

 

5 このような、被害者が告発するためのハードルを越えて、声を上げ始めたのは、あるべき姿に近づきつつあるといえます。

しかし、様々なスポーツ団体において、相談窓口が設置され、また設置されつつあるものの、相談者から信頼される窓口がどれほどあるかといえば、まだそれほど多くないと思います。

相談者や被害者の秘密が守られ、二次被害を可及的に防止する体制、及び「相談→調査→事実認定→処分」という手続きが適正に行われる体制が整っていなければなりません。具体的な体制の構築やその問題点については回を改めて言及します。

そして、このような事後的な救済のみならず、事前に防止することも検討しなければなりません。研修会開催等による啓発を励行し、発生件数の総数を減らすことで、相談件数も減少するよう努めなければならないと考えています。上述したように、私は指導者資格を有する指導者向けの研修会の講師を務めさせていただくことも少なくないのですが、研修会に参加される殆どの指導者の意識は高いといえます。問題は、研修会に参加しようとしない有資格者、或いは参加する必要のない無資格者をどのように啓発していくかですが、資格の有無にかかわらず参加できる研修会開催を企画し、多様な人たちに周知し、参加を促すべきものと考えます。

 

次回以降もこの問題について考えていきます。

 

 

「日本山岳・スポーツクライミング協会の常務理事に就任して」

1 5月28日に公益社団法人 日本山岳・スポーツクライミング協会(以下、「協会」)の常務理事に就任させていただき、2ヶ月弱が経過しました。

 本欄( 「フリークライミング、スポーツクライミングの国内統括団体について」 )でも書かせていただきましたように、昨年度まで、協会はスポーツクライミングの国内統括団体(National Federation、以下「NF」)であるにもかかわらず、名称にスポーツクライミングの名がなく(従前は「日本山岳協会」)、また理事会には山岳を専門とする役員ばかりでスポーツクライミングを専門とする役員が1人もいないという状況でした。

 ところが、国内外のスポーツクライミングの人気を背景に、昨夏にスポーツクライミングが2020年東京五輪の追加競技となったことを契機として、スポーツクライミングのNFである協会を取り巻く環境が激変しました。この事態に対応すべく、協会は、国際連盟( International Federation of Sport Climbing )の要請に基づき、4月1日に名称を「日本山岳・スポーツクライミング協会」と変更し、また5月28日の総会において、スポーツクライミング系の役員として4名の就任が承認されました。私は、そのスポーツクライミング系の役員の1人です。

 

2 実際に協会の内部に入ってみると、予想どおり課題は山積していました。

 協会の予算は、2015年度は約1億4000万円であり、2年後の今年度(2017年度)には約2億7000万円となり、約2倍となっています。予算の大半は、補助金や協賛金によりますが、NFの運営のための資金としては少額とは言えない額になっているにもかかわらず、決して協会の組織運営は順調とは言えない状況です。

 この問題の核心は、協会が予算規模に合ったガバナンス体制が構築されていないことに尽きると感じています。先に述べたように、私はスポーツクライミング系の役員として協会に入りましたが、最重要の役割は、協会全体を見渡した上でのガバナンス体制の構築だと考えています。現在は、その役割を中心的に担うガバナンス委員会の設置について提案しており、次回理事会に諮ることになっています。

 

3 ガバナンス体制の構築は最優先の課題ですが、その内容は広範囲にわたるため、もう少し具体的な課題について考えてみたいと思います。

 昨年9月に本欄(「スポーツクライミングの隆盛と今後の課題」 )において、①若手クライマーの啓発、②アンチ・ドーピング、③東京五輪のスポーツクライミングのルール、④NFのあり方、⑤スポーツ障害の5点について指摘させていただきました。

 このうち③東京五輪におけるスポーツクライミングのルールについては、既に決定されています。更なる課題は、2024年、2028年の五輪にスポーツクライミングが五輪競技として残れるか、そして、残れた場合にはそのルールをどのようにするか(東京五輪のルールが三種目混合であり特殊であるため、現在ワールドカップで採用されている単種目ごとのルールに準拠するか等)、ということになるでしょう。

 ①若手クライマーの啓発、②アンチ・ドーピング、⑤スポーツ障害については、現に協会でも対策が講じられているか、あるいは、こらから講じられてようとしていますが、より一層の充実を図らなければなりません。

 ④NFのあり方については、本欄で、フリークライミングの両輪であるアウトドア(岩場)でのクライミングと人工壁でのクライミングを統括する団体が必要であると主張させていただきました。現状においては、協会の統括するクライミングから岩場でのフリークライミングが抜け落ちているため、今後は協会が岩場でのフリークライミングをも統括し、フリークライミングの発展に寄与すべきであると考えます。

 

4  私がNFの役員入りをしたことで、これまでアスリート側・クライマー側で仕事をしてきたこともあり、「魂を売りましたね」というようなことを言われることがあります。

 協会入りする前からそのように言われることは十分に予想できましたが、アスリートファースト(クライマーファースト)という私の姿勢は変わりません。

 ただし、アスリートファーストという言葉は多義的であり、「長い目で見ればアスリートのためである」とか、「間接的にアスリートのためである」とかいった意味でも使われます。鋭く対立する者が、双方とも、その意見の根拠としてアスリートファーストを挙げていることも見受けられます。このように、アスリートファーストという言葉は便利な言葉でもある反面、真意の伝わりにくい言葉でもあると言えます。

 フリークライミング(スポーツクライミングを含む)界にとってのアスリートファースト(クライマーファースト)とは何なのか、その内容を具体的に見極めつつ、常に自問し続けていく必要があると考えています。

 

 

 

 

スポーツ中の事故における賠償責任について

1 はじめに
読売新聞(2017.1.13付)の朝刊社会面の記事においてコメントを述べさせていただきました。
その記事は、「サッカー事故で接触の相手が重症   賠償命令に賛否」というタイトルで、社会人サッカーの試合で、30代の男性選手の足に骨折などの重傷を負わせたとして、相手選手に約247万円の支払いを命じた判決(東京地裁2016.12)についてのものでした。その記事の中で、「最近はスポーツを楽しむ権利が重視されてきたことを背景に、ルールの範囲内でも、注意義務違反があれば賠償責任を認める傾向にある。今回はこうした流れに沿った判断だろう」とのコメントをさせていただきました。
紙幅の関係もあり、少し舌足らずなコメントになってしまいましたので、以下補足しながら、述べさせていただきたいと思います。

 

2 ルール内免責説と過失責任説
スポーツ中の事故でスポーツをしている者同士の間で事故があった場合、怪我をさせた人(加害者)は、怪我をした人(被害者)に対して損害賠償責任を負うのでしょうか。この点、大きく分けて二つの考え方があると思われます。
一つは、スポーツにおいて怪我はつきものだから、仮に怪我をしてもそれは自己責任であり、不幸にも他者に怪我をさせても、ルールの範囲内であれば、加害者は責任を負わないとする考え方です。これを以下では、「ルール内免責説(違法性阻却説)」と呼ぶことにします。
もう一つは、ルールの範囲内であったとしても、他者に怪我をさせた以上、過失があることを前提として、加害者は責任を負うとする考え方です。これを以下では、「過失責任説」と呼ぶことにします。

 

3 ママさんバレー事件判決
法曹関係者以外の一般の方々では、ルール内免責説の立場を取る人が多いように思われます。
裁判例においても、ルール内免責説に近い考え方に基づくものがあり、最初にそのような考え方を採用した裁判例で、「ママさんバレー事件判決」(東京地判昭和45.2.27判タ244・139)と呼ばれるものがあります。
ママさんバレーの練習中に、スカートを履いた被告がスパイクしようとして、後退しながらジャンプし、ボールを強打した拍子に重心を失ってよろめき、二、三歩前にのめって相手方コートに入って転倒し、自己の頸部を原告の右足膝部に衝突させ、右膝関節捻挫兼十字靭帯損傷の傷害を負わせたという事案です。
判決では、「一般に、スポーツの競技中に生じた加害行為については、それがそのスポーツのルールに著しく反することがなく、かつ通常予測され許容された動作に起因するものであるときは、そのスポーツの競技に参加した者全員がその危険を予め受忍し加害行為を承諾しているものと解するのが相当であり、このような場合加害者の行為は違法性を阻却するものというべきである」と述べた上で、本件において、スカートは練習で許容されていたと認定し、また被告が転倒することは予測されたとして、「被告の行為は違法性を阻却する」とし、「スポーツが許容された行動範囲で行われる限り、スポーツの特殊性(自他共に多少の危険が伴うこと等)から離れて過失の有無を論ずるのは適切ではない。本件の場合被告にはスポーツによる不法行為を構成するような過失はなかったともいいうる」としました。
この判決はスポーツ中のスポーツを行なっている者同士の事故の場合、加害者がルールに著しく反しない限りは一律に免責されるとするものです。
この事案について、皆さんならどのように考えるでしょうか。結論はともかく、私はその結論を導く論理に問題があると考えます。

 

4 違法性と過失について
ここで、損害賠償責任(不法行為責任)が発生するための要件について、少し説明します。
法的に損害賠償責任が生じるための要件の中には、「違法性」と「過失」があります(なお、学説の中には、違法性を要件としないとするものもあります)。
「違法性」はその有無が判断され、無ければ損害賠償責任が全く生じません(法的には、「違法性が阻却される」といいます)。
これに対して、「過失」は様々な要素を総合考慮して、その有無が判断されるとともに、加害者側の過失と被害者側の過失と比較する場面(過失相殺)でその度合い(過失割合)が考慮されます。
すなわち、違法性が阻却されるか否かの判断は、0か10かの二者択一として判断であるのに対し、過失や過失相殺の判断は、0~10の間で事案に応じて判断がなされます。

 

5 スキー事故最高裁判決
先述のママさんバレー事件判決は、後の裁判例に影響を与えましたが、スキーヤー同士の事故についての平成7年の最高裁判決(最判平成7.3.10判タ876・142)がこの流れを変えます。
上方から滑降してきたスキーヤーが下方を滑降していたスキーヤーに衝突した事故において、最高裁は、「スキー場において上方から滑降する者は、前方を注視し、下方を滑降している者の動静に注意して、その者との接触ないし衝突を回避することができるように速度及び進路を選択して滑走すべき注意義務を負う」とした上で、被上告人の回避可能性を検討して、「被上告人には前記注意義務を怠った過失があり、上告人が本件事故により被った損害を賠償する責任がある」としました。
本件においては、上方から滑降してきたスキーヤーは、当該ゲレンデのルールの範囲内、すなわち「許容された行動範囲で」(ママさんバレー事件判決から引用)スキーを行なっていたにもかかわらず、最高裁は違法性を阻却することなく、過失の有無を論じた上で、過失の認定を行なっています。

 

6 スキー事故最判調査官解説
更に、この最高裁判例の解説において、「原判決(高裁判決)は、スポーツであるスキーには必然的に危険を伴い、各滑降者は危険があることを認識して滑降していること等を理由に、スキー場における規則やスキーのマナーに反しない方法で滑降していたYの不法行為責任を否定したが、スキー同様に危険を伴い、技量の異なる者が同一の道路を通行する自動車運転の場合を想定してみても、 事故につき不法行為責任を負うか否かは、あくまで民法上認められるべき注意義務違反があるか否かをもって決せられるものであって、道路交通法規等に規定された注意義務違反が直ちに民法上の注意義務違反となるものではない」としています。なお、この解説は、最高裁調査官という裁判官によるもので、信頼度の非常に高いものです。
この判例解説では、道路交通法規等上の注意義務違反が直ちに民法上の注意義務違反となるものではないとしています。これは、道交法に違反することと注意義務に違反することとは異なるということです。例えば道交法に反しないように車を運転していたとしても、他の車と事故を起こせば、道交法を守っていたという理由だけで完全に免責されるわけではないということになります。スポーツ中の事故についても同様で、スポーツのルールの範囲内での事故だからという理由だけで、加害者が一律に責任を負わないとするのは妥当でないと最高裁は考えていると思われます。

 

7  「ルールの範囲内か否か」の法的な意味
ここで、ルールの範囲内であったか否かという事実が、法的にどのような意味を有するのか、考えてみたいと思います。ルールの範囲内であったか否かは、ルール内免責説では当然のこととして、過失責任説でも考慮されます。ただし、その役割の大きさが異なります。
ルール内であれば違法性を阻却するというルール内免責説においては、ルールの範囲内か否かを分水嶺として、責任を0か10かの二者択一のように判断します。
これに対して、過失責任説では、ルールに従っていたか否かは、加害者側の事情として考慮されますが、責任の存否自体を決めてしまうということはありません。
以下では、ルールという概念について検討し、過失責任説においてはルールに従ったということとルールに従わなかったことがどういう意味を持つのかについて考えていきます。

 

8 ルールという概念の曖昧さ
上記のようにルール内免責説では、ルールが重要な役割を果たしますが、基準となるべき「ルール」という概念は非常に曖昧です。
多種多様なスポーツには、それぞれ異なるルールがあります。そして同じスポーツの中でも、プロが真剣勝負で行う場合のルール、レクリエーションとしてスポーツを楽しむ場合のルール、練習中におけるルール(ルールというより、練習方法における取り決めと言った方が正確かもしれません)は異なるといえます。確かに、プロスポーツにおいてはルールブックがあり、そのルールは明確ですが、レクリエーション中でなおかつ練習中の事故においてそのルールは極めて曖昧なものであり、ルールそのものの存否もはっきりとしません。
このように曖昧な概念に基づくルールに従っていたか否かによって、損害賠償責任の有無を二者択一として決するのは、妥当ではないと言わざるを得ないと思います。

 

9 ルールに従わなかったことの意味・ルールに従ったことの意味
このように曖昧といえるルールであっても、過失責任説においても、当該ルールには意味がないわけではありません。
ルールには、①勝敗を決めるためのもの(例:サッカーにおいて同点で試合時間が終了した場合にフリーキックで勝敗を決めること、ゴールに完全に入った場合に得点とすること)、②そのスポーツをスポーツたらしめているもの(例:サッカーで原則として手を使ってはいけないこと)、③危険なプレーとして禁じられているもの(例:サッカーにおいてプレイヤーにスライディングすること)などがあります。
このうち、③のルールに反した場合は、過失が認められる可能性は極めて高いといえますが、①や②のルールに反したとしても、注意義務違反が認められるか否かは事案ごとの判断になると考えられます(なお、①のルールに反する場合で事故が生じることは考えにくいとはいえ、ありえないことではありません)。
それでは反対に、過失責任説において、ルールに従っていたことの意味はどのようなものがあるでしょうか。
ルールに従っていたことは、過失がない方向、注意義務違反がない方向の要素として評価されます。従って、ルールの範囲内でプレーをしていれば、過失が認められないことで賠償責任がないと判断されることもあると考えられます。
しかし、前記最高裁解説が述べていたように、ルールに反したか否かと、注意義務に反したか否か、とは完全に一致するわけではありません。なお、同旨のことを述べた他の判例は以下のように述べています。「過失の有無は、単に競技上の規則に違反したか否かではなく、注意義務違反の有無という観点から判断すべきであり、競技規則は注意義務の内容を定めるに当たっての一つの指針となるにとどまり、規則に違反していないから過失はないとの主張は採用することができない」(東京地判H26.12.3LLI/DB L06930806)としています。

 

10  危険の引受け
前述のママさんバレー事件判決においては、「そのスポーツの競技に参加した者全員がその危険を予め受忍し加害行為を承諾している」とした上で違法性が阻却されるとして、「危険の引受け」を違法性阻却の根拠としています。このように違法性を阻却するとする根拠として、「危険の引受け」が挙げられることが多いといえます。
ママさんバレー事件判決が出た昭和45年ころと比べると、スポーツは広く国民に浸透し、また生涯スポーツとして子供から高齢者までスポーツを楽しめるような環境も整いつつあります。また2011年にはスポーツ基本法が制定され、スポーツが権利として認められ、スポーツの法的な地位も向上しました。さらには2020年には東京五輪を控え、益々のスポーツの興隆が予想されます。
さて、このような状況において、一般の人々がスポーツを楽しもうとする場合に、人々は傷害を負う危険を引き受けているのでしょうか。
私は、仮に被害者が危険を引き受けているとしても、当該スポーツの性質に照らして通常予測できる範囲にとどまるものと考えます。例えば、どのようなスポーツでも擦り傷などの軽傷は通常予測しているといえますが、重傷まで予測しているケースは極めて少ないといえます。
そして、そのような危険の引受けは、違法性を阻却するか否かの場面で考慮するのではなく、過失の認定の場面で過失を認めない方向の要素として考慮する、あるいは過失相殺の場面で被害者側の事情として考慮すべきだと考えます。

 

11 通常想定内免責説
ここで、通常想定できる危険の範囲内であれば違法性を阻却し、その範囲を超えた場合には違法性を阻却しないとする、ルール内免責説と過失責任説との中間的な通常想定内免責説ともいうべき考え方があります。
ラグビーに関する裁判例に同様の考え方をとったものがあり、「ラグビーの試合に出場する者は、プレーにより通常生ずる範囲の負傷については、その危険を引き受けているものとはいえ、これを超える範囲の危険を引き受けて試合に出場しているものではない」(東京地判H26.12.3LLI/DB L06930806)としています。
しかし、私は、スポーツをする人は一定程度危険を引受けているとしても、違法性阻却を検討するのではなく、過失の判断の中で検討すべきだと考えます。というのも、危険を引き受けているとする通常生ずる範囲の判断が困難なこと、きめ細やかな判断ができる過失の要素として検討すれば足りること、生じた結果から遡ってその違法性阻却の有無を判断することは結果責任に類する考え方であることから妥当でないと考えられるからです

 

12 過失責任説の妥当性
これまで述べてきたように、過失責任説は、スポーツ中のアスリート同士の事故において、ルールに従っていたか否かを過失の判断の中で他の要素と合わせて考慮することにより、プロのアスリートからレクリエーションで運動する人々まで、試合中の事故から練習中の事故まで、多種多様なスポーツの形態に応じて、きめ細やかな判断ができる、という点で妥当だといえます。そして、そのようにきめ細やかな判断をすることは、損害の公平な分担という不法行為責任の制度趣旨にも資することになります。
これに対して、ルール内免責説は、基準とするルールという概念が極めて曖昧であること、そのような曖昧な概念によって二者択一のように責任の有無を判断することから、妥当性を欠くと考えます。

 

13 裁判例の傾向
先述したスキー事故の最高裁判例から、ルールに従っていたか否かを過失の判断の中で考慮すべきという説をとる裁判官も増えてきているものと考えます。
現に平成7年最判以来、アスリート同士の事故でルール内であったとしても違法性を阻却するとして責任を認めなかった裁判例は、私が検索した限りは見当たりません(東京地判H19.12.17LLI/DB L06235623、東京地判H26.12.3LLI/DB L06930806など)。なお、先に述べたラグビーの事案の裁判例(東京地判H26.12.3LLI/DB L06930806)は折衷的な考え方ですが、少なくともルール内免責説を採用していないことは明らかでしょう。
以上のような裁判例の傾向から、先の讀賣新聞のコメントをさせていただいたという次第なのです。

 

14 最後に
誰しもスポーツをする者は加害者になりうることを自覚した上で、スポーツ中でも、他者に怪我をさせることがないよう注意すべきです。またそのような事故に備えて保険には加入しておくべきでしょう。なお、訴訟にまで至るケースでは、加害者が保険に入っていない、あるいは保険に入っているが使わないケースが殆どです。スポーツをするときには、保険加入をしておくべき時代になっているとも言えます。
反対に、怪我をさせられ被害者となった場合には、スポーツ中の事故だからといって泣き寝入りする必要はありません。あくまで加害者に過失が認められることを前提としますが、損害賠償請求は認められる可能性があります。
一般の人たちは、スポーツマン同士で訴えるなんて、などと言った非難をするかもしれません。しかし、このような言説は、被害者の立場に立っていない言説だと言わざるを得ません。この問題についての理解が広がり、損害の公平な分担が実現することを願います。

 

 

書類送検について

1 岐阜県の天然記念物の岩にくさびが打ち込まれたとの報道について本欄でも取り上げました(「『天然記念物の岩にくさび』報道について」)。
この続報として9月30日に、男性のクライマーが書類送検されたとの報道がなされました。
本件に関しては、最初の報道において警察が捜査を開始したことが伝えられ、その報道を契機に当該クライマーが直ぐに警察・関係機関に名乗り出たことが伝えられていました。

この「クライマーが書類送検された」との報道について考えてみたいと思います。

2 そもそも「書類送検」とはどのようなことを指すのでしょうか。

刑事訴訟法をみてみましょう。
同法246条では「司法警察員は、犯罪の捜査をしたときは、この法律に特別の定のある場合を除いては、速やかに書類及び証拠物とともに事件を検察官に送致しなければならない。但し、検察官が指定した事件については、この限りでない。」とされています。
分かりづらい法律用語が並んでいますが簡単にいうと、警察は捜査をしたなら原則として関係書類と証拠を検察官に送らなければならないということです(全件送致主義。但書の例外は微罪事件※1)。条文にある「検察官に送致すること」を略して「送検」といいます。

また、203条1項では「司法警察員は、逮捕状により被疑者を逮捕したとき、又は逮捕状により逮捕された被疑者を受け取ったときは、……被疑者が身体を拘束された時から四十八時間以内に書類及び証拠物とともにこれを検察官に送致する手続をしなければならない。」とされています。
これは被疑者(報道でいう「容疑者」※2)の身柄が拘束された身柄事件に関する条項です。なお、被疑者の身柄が拘束されない事件を在宅事件といいます。
身柄事件においては、在宅事件と比べて、身柄拘束時から送検までの時間が48時間以内とされ、関係書類・証拠と共に身柄が検察官に送致される点が異なります。

 ここで大切なのは、在宅事件でも身柄事件でも捜査された場合には原則として送検されるということと、「書類送検」は厳密には法律用語ではないということです。

3 それでは、以上のことを報道する立場で考えてみましょう。

身柄事件においては、逮捕が送検の前に行われるため、逮捕の事実が報道されることが多く、その後の送致の事実を伝えられることは殆どないと言えます。逮捕は、被疑者が身柄拘束されるので、報道機関にとっては報道価値が高いといえます。これに対して、送検は、上述したように逮捕された以上は、原則として送検されるため、あまり報道価値のないことといえます。

在宅事件においては、身柄拘束の必要がない軽微な事件であることが多く、捜査は秘密裏に行われることから、送検まで報道機関としては事件の存在を把握しづらいといえます。

そこで、報道機関は、在宅事件において、身柄事件の逮捕に代わる報道価値があるものとして、送検を見出し、身柄事件の送検(関係書類、証拠、身柄)と区別して「書類送検」と称しているものと考えられます。

4 法律相談において、「私は被疑者(容疑者)として警察の捜査の対象となっているようですが、私は今後、書類送検されるのでしょうか」という質問をよく受けます。

在宅事件であれば、微罪処分として送検されないように努めることはありますが、刑事手続の流れとして被疑者として捜査がなされた以上は送検されるのはごく当たり前だという感覚の実務法曹は多いと思います。

ところが、報道では、在宅事件において「書類送検」という用語が頻繁に登場します。そうすると、一般には、「書類送検」が何か特別な意味を持つように考えている方が多いように思います。

5 今回の岐阜の天然記念物にくさび事件では、捜査が既に始められていたこと、その後直ぐに被疑者が名乗り出たことは上述したとおりです。
被疑者が名乗り出たとの報道では、氏名こそ公表されませんでしたが、その人物の特定は難しいことではないと思います。そうだとすれば、報道がなされた時点で、その程度は低いとはいえ、ある種の社会的制裁が加えられたことになります。
そして手続の流れとして被疑者として捜査された場合に送検されるのが原則であり、ごく当たり前の手続きの流れであるにもかかわらず、更に送検の報道をすることで、2度目の社会的制裁を加えることになります。

本件においては、既に被疑者について報道されていること、被疑者も事実関係を認めていること、過去に打たれたボルト(くさび)が老朽化のため危険であるから打ち替えたに過ぎないこと(少し取材すれば分かりますし、報道もなされています)からすれば、被疑者に2度も社会的制裁を加える必要など全くないと考えます。

このような報道のあり方には疑問を感じざるを得ません。

6 また、刑事手続には、無罪推定の原則があります。この原則は、被疑者や被告について、「刑事裁判で有罪が確定するまでは『罪を犯していない人』として扱わなければならない」とするもので、憲法において保障されています。 

確かに、報道機関が被疑者の逮捕、勾留、送検、起訴などの報道をすることは、単に事実を報道しているだけともいえますが、日本における刑事裁判における有罪率の高さからすると、報道の受け手としては当該被疑者を限りなく黒(有罪)に近いものとして捉えがちです。

無罪推定の原則や社会的影響力の大きさからすれば、報道機関は、被疑者に関する報道では、もっと慎重であるべきです。

7 以前本欄で、報道機関が被告人を「被告」と表記して報道するために、一般人には、民事事件の被告と刑事事件の被告人との区別がつかなくなり、混乱を招いていると書きました(「『被告』と『被告人』)。

インターネットの発達により、一般人が情報を発信できるようになったといえ、報道機関の影響力はいまだ絶大であるといえます。

報道機関は、その有する報道の自由を行使し、国民の知る権利に資するべきですが、他方で、その有する絶大な権力を自覚し、人権侵害はもとより国民に混乱を招くような報道は可及的に回避すべきものと考えます。

 

 

※1 微罪事件・微罪処分については犯罪捜査規範に下記のように規定されています。
 第198条 捜査した事件について、犯罪事実が極めて軽微であり、かつ、検察官から送致の手続をとる必要がないとあらかじめ指定されたものについては、送致しないことができる。

※2 報道機関で頻繁に登場する「容疑者」という用語は、被疑者とほぼ同義といえますが、それならば何故、被疑者とせずに容疑者とするのか明らかではありません。

 

 

 

スポーツクライミングの隆盛と今後の課題

1 先日放映されたTV番組で、スポーツクライミングに対して張本勲さんの「アッパレ」が出ました。これまで、この番組でスポーツクライミングが何度か取り上げられましたが、いずれもキワモノ的扱いだったので、まともに取り上げられたことに少々驚いてしまいました。

2020年東京五輪での追加競技への採用を契機に、がらりと報道の姿勢が変わり、毎日のようにスポーツクライミングが取り上げられ、クライマーが報道やメディアに登場することは、珍しいことではなくなりました。ほんの2年ほど前に本欄で、「世界の大舞台で日本人クライマーが大活躍しているにもかかわらず、報道では殆ど無視されている」とぼやいたことが、遥か遠い昔のようです( 「世界で活躍する日本人クライマーと報道」 )。

2 張本さんの「アッパレ」の対象は、9月14~18日にパリで行われたスポーツクライミングの世界選手権の男子ボルダリングで楢崎智亜選手(20歳)が優勝し、金メダルを獲得したことや、女子ボルダリングでも、野中生萌選手(19歳)が2位、野口啓代選手(27歳)も3位と健闘したことでした。
世界選手権で日本人が優勝するのは初めてで、過去に優勝できる実力をもつ選手は何人もいたものの優勝を逃し続けていたため、「日本人は世界選手権で勝てない」というジンクスがあるとさえ言われていた中での快挙でした。
日本人クライマーの実力を世界に知らしめたといえるでしょう。

3 このように、スポーツクライミングを巡る環境は激変し、スポーツクライミングが発展する方向に進んでおり、喜ばしいかぎりです。
ただ、今後の課題が全くないかと言われれば、そうではありません。以下、考えられる点を列挙していきます。

(1)  若手クライマーへの啓発について
未成年のスノーボーダーが大麻を使用していた事件やバドミントンのロンドン五輪代表選手2名(26歳、21歳)の違法賭博事件など、若者のアスリートの事件や不祥事が絶えません。
若手クライマーの啓発を早急に行う必要があるでしょう。

(2)  アンチドーピングについて
リオ五輪をめぐりロシアのドーピング問題が盛んに報道されましたが、アンチドーピングは世界的関心事となっています。
一度陽性反応が出て処分されてしまうとアスリートの選手生命に関わると共に、スポーツクライミングという競技に対するイメージを大きく損なうことになります。念には念を入れて、アンチドーピングに取り組まなければなりません。

(3)  東京五輪のスポーツクライミングのルールについて
2020年東京五輪における、スポーツクライミングのルールは、リード、ボルダリング、スピードの三種目の総合で順位を決めるとされていますが、その順位の決め方のルールについては未だ決まっていません。本来的なクライミングという観点からは、スピード競技の比重を他のリード競技、ボルダリング競技よりも軽くすべきとの見解もありますが、その見解が採用されるかも分かりません。
いずれにしても、早急にルールを決めて、4年後に備えて、選手が万全の準備ができるようにしなければなりません。

(4)  国内統括団体(NF)について
前回本欄 (フリークライミング、スポーツクライミングの国内統括団体について 」 ) でも取り上げたので詳しくは書きませんが、スポーツクライミングのNFとフリークライミングのNFが分断されているという問題です。
岩場でのクライミング(主としてフリークライミング)と人工壁でのクライミング(主としてスポーツクライミング)を分断することなく、両者が相互に高め合うように、NFも協力・統合していく必要があると考えます。

(5)  スポーツ障害について
昨今、スポーツクライミングは若年層が主役となりつつあります。そして、これら若年層のクライマーは日々ハードなトレーニングを積んでいます。クライマーのハードなトレーニングによるスポーツ障害はいまだデータがありませんが、何か対策も講じなければ、スポーツ障害が増加することは間違いのないところだといえます。
スポーツクライミングは、若年層から高齢者まで広く楽しめる生涯スポーツです。生涯にわたってスポーツクライミングを楽しめるように、スポーツ障害の予防、特に若年層のクライマーのスポーツ障害の予防に力を入れなければならないと思います。

4 今後の課題は、上に挙げた課題にとどまりませんが、関係者で協力すれば解決可能なものばかりです。これらの課題をクリアして晴れやかな気持ちで2020年を迎えたいものです。

 

 

フリークライミング、スポーツクライミングの国内統括団体について

1 スポーツクライミング(英語表記はSport Climbing)が2020年東京五輪の追加競技となりましたこと、関係者の皆様には、心よりお祝い申し上げます。

今後、選手は五輪を目標に高いモチベーションをもってトレーニングを重ね、スポーツクライミング業界は益々発展することと思います。

この大きなニュースの少し前に、スポーツクライミングの国内統括団体(National Federation 、 NF)である公益社団法人日本山岳協会(以下、「日山協」)に対して、スポーツクライミングの国際統括団体(International Federation of Sport Climbing)から、団体名にスポーツクライミングの名称を入れるように要請されたとの報道がありました。
この報道の中で、日山協の役員25人にはスポーツクライミングの専門家は一人もおらず、団体名のみならず組織改革をも迫られているとされています。

この問題について、少し考えてみたいと思います。

2 スポーツクライミングはフリークライミングの中のひとつのカテゴリーです。
フリークライミングとは、できる限り道具を使わずに行うクライミングを指し、スポーツクライミングは、フリークライミングの中でも安全性がより確保されたクライミングを指します。
スポーツクライミングには、岩場での支点が強固であるなど安全性がある程度確保されたクライミングも含まれますが、主として室内の人工壁でのクライミングを指します。

そもそも人工壁は、岩場でのクライミングのトレーニング用の壁として生まれ、発展してきました。
人工壁は、公平・公正な環境を確保するという点で岩場よりも優れているため、現在では人工壁におけるコンペティションが盛んに行われています(過去には岩場でのコンペティションもありましたが今では殆ど姿を消しています)。

そして、クライマーは、人工壁でトレーニングをしたり、コンペティションに出場したりすることで、技術や能力を高め、その高めた技術や能力をもって岩場における高難度のクライミングを実践します。
また、岩場でのクライミングで得た経験や技術は、人工壁にフィードバックされて、より高度な技術や能力を習得することに寄与します。
このことは、人工壁において行われるコンペティションにおいて表彰台に立つようなクライマーは、殆どの場合、岩場でもトップクライマーであることにも表れています。

すなわち、フリークライミングにおける、岩場でのクライミングと人工壁でのクライミングは、相互に必要不可欠な存在であり、切っても切れない関係にあることがわかります。

3 ここで日本におけるフリークライミングを統括する団体をみてみましょう。

日山協がスポーツクライミングの統括団体である他に、NPO法人日本フリークライミング協会(以下、「JFA」)があります。

JFAは、現在、役員のほぼ全員がフリークライマーであり、従前は国内コンペティションの主催運営をしてきましたが、現在ではコンペティションから手を引き、岩場の整備や岩場利用を巡る折衝等に力を入れています。
JFAは、いわばフリークライミングのうち岩場でのクライミングについて統括しているといえます。
先日、盛んに報道された天然記念物にくさびが打たれたという件で、適切に対応したのはJFAです。

なお、JFAは、法人格を取得しているものの、組織的な位置付けとしては、日山協の加盟団体である公益社団法人東京都山岳連盟の一加盟団体に過ぎません。

4 日山協がスポーツクライミングすなわち人工壁でのクライミングを統括し、JFAが岩場でのクライミングを統括している状況は、フリークライミングの両輪であるはずの岩場でのクライミングと人工壁でのクライミングが分断されていることを意味します。

このような分断が生じた経緯についてはここでは述べませんが、少なくとも、フリークライマーにとって好ましい状況といえないことは確かです。

現状における、日山協とJFAとのいびつな関係は、フリークライマーの側にも大いに責任があると思いますが、日山協とJFAが、ひとつになることも含めて将来像を描き、お互いに協力し合い、岩場・人工壁でのフリークライミングの発展のために活動をすることを強く希望します。

フリークライマー・ファーストこそが、国内統括団体の存在意義といえるのではないでしょうか。

 

 

 

「天然記念物の岩にくさび」報道について

1 岐阜県御嵩町鬼岩、石川県白峰百万貫、長野県飯田市天龍峡において、天然記念物の岩や名勝地内の岩にクライミング用のくさびが発見されたと新聞やウェブで報道がなされ、その後TV番組などでも取り上げられています。
なお、このくさびは、当初、ハーケン(主として登るための手がかりとする金具)として報道されましたが、正しくはハンガーボルト・リングボルト(主としてフリークライミングにおいて使用される墜落時の支点となる金具。以下「ボルト」)です。

2 この問題をどのように考えるべきでしょうか。
確かに、天然記念物等の岩に穴を開け、金具を設置すれば、それはやはり好ましくない行為だと評価されても仕方ないのかもしれません。
他方で、岐阜の件のように、最初にボルトが打たれてから、すでに数十年も経過しているものもあり、それはいわば管理者(文化財保護法(以下、単に「法」)119条1項によれば原則として所有者)が「大目に見てくれていた(黙認していた)」といえるかもしれません。
仮に、ボルトの設置が、天然記念物に指定された岩の「現状を変更し、又は保存に影響を及ぼす行為をして、……き損」(法196条1項)に該当するとすれば、このき損行為を数十年にわたり放置していた管理者の管理責任(法119条1項等)を問われる可能性も出てきます。それにもかかわらず、管理者が、これまで長期間ボルトを放置していたことを考えると、ボルトの設置を、好ましいとまではいえないが、き損ともみなしていなかったと思われます。

3 それでは、なぜこの問題が表面化したのでしょうか。
例えば、天然記念物に落書きをする者は、落書きにより自己表現をしているといえます。これに対して、ボルトを設置したクライマーは、ボルトの設置を自己表現の一手段としていないとは言い切れませんが、クライマーがその岩を登る際の墜落時に備えた支点とすることを主たる目的にしていたといえます。
そのようなボルトが設置されている以上、クライマーがその岩を登っていたはずで、大きさ数センチの数個のボルトよりもクライマーが登っている姿の方がよほど目立ち、目認しやすいはずですから、天然記念物等の岩を登ることが違法かという問題は別として、管理者や地元の人達がボルトの設置のみならずクライミングをも黙認していたことになります。
しかし、ここにきて管理者や地元の人達が声を上げ始めたというのは、それまでクライマーとの関係が悪くなかったものが、クライマー側のコミュニケーション不足などで関係が悪化し、従来は黙認されてきたボルトの設置やクライミングが、見過ごすことができないと判断され、問題が表面化したものだと推察します。
そして、岐阜の件の報道を発端として、ドミノ倒しのように全国の天然記念物等に指定された岩の管理者や地元の人達が声を上げ始めたものと考えられます。

4 ここでクライマーならお気付きかもしれませんが、この問題の本質はアクセス問題にあるといえます。
アクセス問題とは、クライマーが岩にアクセスする際に起こる岩場の使用禁止などの問題を指します。
先に述べた、管理者や地元の人達との関係の悪化こそが、今回の問題の表面化の根本にあり、地元の人達と良好な関係が持続できていれば、今回の問題は起こらなかったのではないでしょうか。
ただ現状において、今回報道された件以外にも、全国の天然記念物等の指定の岩にボルトが設置されている可能性が高く、今後もこのドミノ倒しは続く可能性があります。
これらに対しては、従前から私もアクセス問題について提案させていただいたように、あまり法律や条例を振り回すのではなく、その土地ごとにクライマーが管理者や地元の人達と良好な関係を構築する努力をし、ボルトの設置やクライミングの可否について話し合いを重ねていくべきだと考えます。
そしてそのような話し合いの中で、天然記念物等の指定の有無にかかわらず、岩場という自然が与えてくれた環境と、どのように人が関わっていくべきであるのかを模索していくことが必要であると思います。

クライマーが守るべきは、ボルトではなく、自由に岩を登るという行為そのものなのですから。

 

 

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