スポーツと差別
1 大阪で開催された、スポーツと差別の問題を取り上げたシンポジウムに参加してきました。
その日は偶然にも新聞の一面で、国連人権差別撤廃委員会が日本政府に対して、ヘイトスピーチ問題に毅然と対処し、法律で規制するよう勧告したことが報じられていました。
日本という国と差別、そしてスポーツと差別ということを考えさせられる一日となりました。
2 差別の問題は、扱いが厄介ですが、スポーツと差別となると、より厄介になる面もあります。
よく言われることですが、スポーツはコミュニティ同士(一番大きなコミュ二ティは国でしょう)で競うことが多いことから、それが少し歪んだ形でエスカレートすると、差別の問題に発展しやすいといえます。
3 差別は当然に良くないのですが、差別か否かの線引きは極めて難しいのです。そしてさらに、差別的らしき行為がなされた場合に、それを差別だと認定することは、これまた困難を伴うことが多いといえます。
例えば、サッカーのスタジアムであるサポーターがバナナを食べてバナナの皮をピッチに投げ入れたとしましょう。
バナナの皮を投げる行為が、相手をサルに見たてて差別するという象徴的な行為として人々に認識される以前の話ならどうでしょう。
ピッチに白人選手しかいなかったらどうでしょう。
そのサポーターが有色人種ならどうでしょう。
4 こういった具合に差別か否かが微妙な事案は多種多様にあります。
差別行為 は差別意識の発露ともいえる行為で、差別意識があるならそれは間違いなく差別行為となります。
しかし、人の内心を見通すことはできません。その客観的な状況から判断せざるを得ないのです。
人の内心の意識の発露である行為が差別であるか否かの線引きやその事実認定がいかに困難であるのかが分かっていただけると思います。
5 しかし、だからといって、差別を許して良いはずもありません。この困難な作業を引き受け、一つ一つ遂行していくしかないのです。
差別が無くなるなどと楽観論を言うつもりはありませんが、それでも無くしていくという強い決意が必要だと思います。
一人の人間として、そのような矜恃を持っていたいものです。
6 では、スポーツに関わる弁護士としては、何をすべきなのでしょうか。
先に書いた差別か否かの具体的な線引きを試みること。
差別行為があったとされる場合の事実認定が迅速かつ適正に行われるようなシステムを構築すること。
差別行為を行った個人や団体が適正な手続に基づいて処分されるようルール作りをすること。
そして、このような活動を通じて差別が無くなるよう微力ながらも全力を尽くすことだと思っています。