スポーツ団体のガバナンスと手続的正義
1 女子ホッケー代表前監督の日本ホッケー協会による解任決定が、日本スポーツ仲裁機構(JSAA)によって取り消されました。
解任の手続きが、団体自らが作った規則に則っていなかったのがその主な理由です。
このJSAAの判断から、何を得るべきでしょうか。私はこの判断は「スポーツ団体のガバナンス」と「手続的正義」とを考える良い機会を与えてくれるものと思います。
2 スポーツ団体のガバナンス。この聞き慣れない言葉の意味をご存知の方は少ないと思います。
端的にいうと、ガバナンスとは、社会的責任を担うスポーツ団体では、その責任に応じた団体としての体をなしてなければならないということです。団体としての体とは、きちんとしたルールや規則があり、それに則って意思決定や業務運営がなされているということです。
ほとんどのスポーツ団体の始まりは、愛好家が寄り集まり、そのスポーツを振興・発展させようとする、いわば同好会的な団体だったと思われます。ところが、スポーツが広く楽しまれるようになり、社会においてスポーツの重要度が増し、それに伴いスポーツ団体の社会的な価値が高まるようになりました。
例えば国内を統括するスポーツ団体(NF:National Federation)は、そのスポーツの普及・振興のために、国際試合の代表選手を選考したり、国内試合(日本で開催する国際試合)の主催をしたり、各種の研修会を開催したりすることができます。また、財政面では、公的補助金を得ることができます。
スポーツ団体は、これらの役得(権限)を得ることと引き換えに、当然ながら責任を負うことになります。
ところが残念なことに、このことを自覚しているスポーツ団体は少ないと言えます。その結果、スポーツ団体は、団体としての体を未だなさず、ガバナンス体制を構築できていないのです。
先のJSAAの判断で言えば、意思決定に関するルールはあるが、そのルールに則って意思決定がなされなかった、という点においてNFはガバナンスができていなかったといえます。
3 また、今回のJSAAの判断では、スポーツ団体が自ら定めた「手続き」のルールに則っていないということが重視されています。
仮に、今回の解任の決定が取り消されたとしても、その後正式な手続きを踏んで、解任されることはあり得ます。すなわち、決定の内容が適正であるとしても、決定の手続きに問題があれば、その決定は取り消され得るということなのです。
ここでは、手続きのルールを決めることと、そのルールに従い手続きを行うことが求められています。このことは手続的正義と呼ばれることもあります(多義的な言葉ですがここではこのような意味とします)。決定内容の適正と手続的正義とは同等のレベルで重要であるとの考え方が根底にあります。
手続きを重視する考え方は、人間を信用しない性悪説的な考えに基づき、適正な決定がなされるための安全弁であるといえます。ダーティー・ハリーのように、手続きは逸脱しても結果が正解なら良いだろうとするのは、一見正しいようにも思いますが、私的制裁(リンチ)を許すことにもなりかねず極めて危険な考え方だと言えます。
以上のようなことから、JSAAの判断では、安全弁である手続きに関するルールに基づいて決定がなされていなかった点が重視されているのです。
4 ガバナンスと手続的正義、いずれも一般の方には馴染みの薄い考え方かもしれません。しかし、スポーツが広く国民に浸透し、老若男女がスポーツを楽しめるようにするには、スポーツ団体のガバナンス体制の構築は欠かせません。また手続的正義は、刑事法における適正手続の保障(憲法31条)と似た考え方あり、極めて重要な考え方です。
JSAAの判断は、「スポーツ団体のガバナンス」と「手続的正義」という重要な論点を考えさせてくれる良い契機を与えてくれたと思います。
このような視点を踏まえて http://www.jsaa.jp/award/AP-2014-008.html#a01 を一読いただければと思います。