マラソン代表選考について
1 2016年2月26日付け朝日新聞によれば、福士加代子選手がリオデジャネイロ五輪の女子マラソンの最終選考会を兼ねた名古屋ウィメンズ(3月13日)にエントリーしたことが明らかになりました〈註1〉。
福士選手は、1月の大阪国際女子マラソンで日本陸上競技連盟(以下、「陸連」)の設定記録を突破して優勝したにもかかわらず、代表の「当確」が出なかったため、代表選出をより確実にするために、名古屋ウィメンズにエントリーしたということです。21日、陸連の強化委員長は、福士選手に対して、オリンピックでの活躍を期して、名古屋ウィメンズに「出ることは避けてもらいたい」と呼びかけていましたが、他方で福士選手の当確は約束できないとしていました。
2 なぜ、このようなことが起きたのでしょうか。
2015年6月29日に陸連が発表しているマラソンのリオデジャネイロ五輪代表選考基準( 以下、「選考基準」 http://www.jaaf.or.jp/wp/wp-content/uploads/2015/09/2016daihyo_02.pdf )をみると、非常に複雑で分かりづらいといえます。福士選手は、大阪国際マラソンの優勝した瞬間には代表が当確だと考えたようですが、これも選考基準の複雑さ、不明確さによるものでしょう。
選考基準よれば、選考されるための条件には、内定条件と選定条件とがあります。内定条件をクリアすれば代表は一発で当確となります。これに対して、選定条件の優先条件をクリアしても、その条件に優先順位があるため選考の予想はできるものの、最終的な当確は陸連の様々の要素を考慮した総合的な判断となります。したがって、仮に福士選手が名古屋ウィメンズで優勝しても、選定条件に基づく優先順位が上がり事実上の当確とはなりますが、選考基準に照らせば厳密には当確とはならないのです。すなわち、選定条件をいくら満たしても代表が当確とならないという選考基準ゆえに、選手は陸連の最終的な発表があるまで結果は分からず、その間選手は極めて不安定な立場におかれることになるのです。
また、マラソン特有の問題として、ひとつの大会に参加するとその疲労は甚大であり、回復に時間が掛かることにあります。上述したように、陸連の強化委員長は、代表に選考される可能性が高い福士選手に、その疲労の蓄積を心配して名古屋ウィメンズに出ないように要請したようです。複数の選考会を設ける場合(以下、「複数会選考」)には、ひとつの選考会で不本意な成績でも、他の選考会で挽回して代表を狙うことは可能ですが、マラソンの場合、複数の選考会に出場したことによる疲労を考えると当該選手のオリンピックでの活躍にはマイナスに働く可能性が高いと考えられます。
このように、陸連の選考基準の不明確さとマラソンにおける複数選考会のデメリットが今回の福士選手の問題の原因であるといえます。
3 それでは今後どのような選考基準にすべきでしょうか。
(1) 陸連の裁量を排除し明確化する
選考基準に関して「明確性」という場合に、複雑ではなく単純明快であるという明確性と裁量を排除した明確性という二つの意味が込められていると思われます。たしかに、複雑で分かりにくい選考基準は最適とはいえませんが、複雑であっても一義性があるのであれば、選考基準として問題がありません。ここでの一義性とは、選考基準とアスリートの成績や記録だけから、代表が明らかになることをいい、裁量を排除することも含めた概念を指します。
競技によっては一義性がある選考基準を作成することが難しいものもありますが、マラソンは一義的な選考基準を作成することが可能です。すなわち、マラソンは、個人競技であり、かつタイムという客観的な物差しによって勝敗が決し、審判の主観的採点で勝敗が決まるわけでもなく、また団体競技におけるチーム内での役割・貢献度等の数量化が難しい基準を考慮しなければならないわけでもないので、陸連の裁量を排除した、一義的で明確な選考基準にすることが可能なのです。
それにもかかわらず、陸連の選考基準は複雑で分かりにくいという意味でも明確性を欠き、内定した選手以外は最終的に陸連の裁量による判断となっているという意味でも明確性を欠き、一義性のない基準といえます。
陸連としては、選考の過程でどのような事態が生じるか分からないので、複数会選考方式を取りつつ、裁量の余地を残しておきたいのでしょうが、過去の選考方法や他競技の選考方法を参考にしつつ、あらゆる事態を想定して予め選考基準に盛り込み、裁量を排除すべきです。
これをアスリート側からみれば、外部からその判断過程が見えにくい裁量判断を排除し、複数選考会においても少なくとも最終選考会の終了時には代表は確定する選考基準は、歓迎されるのではないでしょうか。
(2) 一発選考か複数会選考か
一義性、明確性という観点からは、ひとつの選考会で代表を決する一発選考が優れているといえますが、複数会選考においても、裁量を排除した一義性がある基準が作成できます。それでは、一発選考か、複数会選考か、いずれによるのがよいのでしょうか。
先ずは、複数会選考について考えてみましょう。
例えば、代表を3人選考する場合、3試合で日本人最高順位の者を選出するというのが、分かりやすく明確だといえます。ただし、この基準によっても、ひとつの大会に有力選手が集中し、その大会の日本人2位の選手のタイムが他の大会の日本人1位選手よりも良いタイムであることもあり得ると思います。そうだとすれば、3大会を通して、良いタイムを出した選手から3名選ぶということも考えられます。ところが、タイムはそのときの気候やコース等の条件に左右されるため、真の実力が計れないということも指摘されています。
このように順位だけでもタイムだけでも実力が計れないと考えると、両者を組み合わせた複雑な選考基準とならざるを得ません。
なお、一発選考であれば、タイムがそのまま順位に反映されるため、複数会選考におけるようなタイムと順位とのズレを修正する必要もなく、分かりやすく明確な基準といえます。
ただし、複雑で分かりづらくても、一義性を確保できるのであれば、複数会選考でも問題がありません。しかし、マラソンの場合は、その特性である疲労の蓄積という点についても考慮しなければなりません。すなわち、前述のとおり、複数会選考において様々な要素を総合的に判断せざるをえず、その場合にはすべての要素が出揃う最終選考会の終了時まで代表が明らかとならないことになり、アスリートとしては、不確実なオリンピック出場時の疲労を心配することよりも、福士選手のように先ずはオリンピック出場を確実にすることを優先することも十分に考えられます。
そうだとすれば、複数選考会にするとしても、内定条件をより拡大して、選考会毎に内定を出していく方法があると思います。先に挙げた例である、3試合で各々日本人一位の3人を代表として選出する方法が分かり易く明確ですが、この方法のデメリットも先に述べたとおりです。少なくとも、3人の代表のうち2人は内定で必ず決定するようにしておき、残り1人は全ての選考会が終了後決するということも考えられますが、その場合の内定条件の設定は極めて難しく、複雑化するものと考えられます。
以上のようなことを考えると、やはり一発選考がマラソンには適しているといえるのではないでしょうか。
(3) 一発選考のデメリットに対して
一発選考のデメリットとして、選考会において、実力があるとされる選手の調子が悪かったり、直前に怪我をしてしまったりして実力を出せず、そのような選手を選出できないということがあります。しかし、オリンピックも一発勝負です。選考会のその日その時に実力を出せなければ、それは実力がないということになるのではないでしょうか。
また、一発選考であれば、輝かしい成績を残した瀬古利彦選手や高橋尚子選手は代表として選出されていなかった可能性があることが挙げられていますが、当初から一発選考の基準が公表されていればその選考会に合わせて瀬古選手も髙橋選手も調整をしたでしょうし、勝負強い選手であれば、一発選考においても勝負強さを発揮して同じく代表に選出されていたかもしれず、仮定に基づく、確たる根拠があるといはいえない批判だと思います。
4 いかにしてオリンピックで勝てるアスリートを選考するかは、永遠に答えの出ない難問です。
陸連が、この答えの出ない難問に挑み続けなければならず、最終的な選考の判断は全てが終った後に様々な要素を考慮して行ないたいとすることも理解できないわけではありません。しかし、選ばれる側のアスリートからすれば、代表に選ばれるためには何をすればよいかということが、予め示され、これに向かってトレーニングを積むということこそが必要であり、不明確な基準のために自らの代表選出に関して余計な神経を使う時間があれば、代表に選ばれた者はオリンピックに向けた準備に費やし、選ばれなかった者は新たな目標に向かって進みたいというのが本音なのではないでしょうか。
以上の検討から、私は一発選考による基準が、選考基準の明確性・一義性という観点から適しており、今回の福士選手のような立場に追いやられる選手が出ないアスリート・ファーストに資する基準であると考えます。
〈註1〉その後、福士選手は名古屋ウィメンズの出場を取りやめました。