弁護士 合田雄治郎

合田 雄治郎

私は、アスリート(スポーツ選手)を全面的にサポートするための法律事務所として、合田綜合法律事務所を設立いたしました。
アスリート特有の問題(スポーツ事故、スポンサー契約、対所属団体交渉、代表選考問題、ドーピング問題、体罰問題など)のみならず、日常生活に関わるトータルな問題(一般民事、刑事事件など)においてリーガルサービスを提供いたします。

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スポーツ中の事故における賠償責任について

1 はじめに
読売新聞(2017.1.13付)の朝刊社会面の記事においてコメントを述べさせていただきました。
その記事は、「サッカー事故で接触の相手が重症   賠償命令に賛否」というタイトルで、社会人サッカーの試合で、30代の男性選手の足に骨折などの重傷を負わせたとして、相手選手に約247万円の支払いを命じた判決(東京地裁2016.12)についてのものでした。その記事の中で、「最近はスポーツを楽しむ権利が重視されてきたことを背景に、ルールの範囲内でも、注意義務違反があれば賠償責任を認める傾向にある。今回はこうした流れに沿った判断だろう」とのコメントをさせていただきました。
紙幅の関係もあり、少し舌足らずなコメントになってしまいましたので、以下補足しながら、述べさせていただきたいと思います。

 

2 ルール内免責説と過失責任説
スポーツ中の事故でスポーツをしている者同士の間で事故があった場合、怪我をさせた人(加害者)は、怪我をした人(被害者)に対して損害賠償責任を負うのでしょうか。この点、大きく分けて二つの考え方があると思われます。
一つは、スポーツにおいて怪我はつきものだから、仮に怪我をしてもそれは自己責任であり、不幸にも他者に怪我をさせても、ルールの範囲内であれば、加害者は責任を負わないとする考え方です。これを以下では、「ルール内免責説(違法性阻却説)」と呼ぶことにします。
もう一つは、ルールの範囲内であったとしても、他者に怪我をさせた以上、過失があることを前提として、加害者は責任を負うとする考え方です。これを以下では、「過失責任説」と呼ぶことにします。

 

3 ママさんバレーボール事故判決
法曹関係者以外の一般の方々では、ルール内免責説の立場を取る人が多いように思われます。
裁判例においても、ルール内免責説に近い考え方に基づくものがあり、最初にそのような考え方を採用した裁判例で、「ママさんバレーボール事故判決」(東京地判昭和45.2.27判タ244・139)と呼ばれるものがあります。
ママさんバレーボールの練習中に、スカートを履いた被告がスパイクしようとして、後退しながらジャンプし、ボールを強打した拍子に重心を失ってよろめき、二、三歩前にのめって相手方コートに入って転倒し、自己の頸部を原告の右足膝部に衝突させ、右膝関節捻挫兼十字靭帯損傷の傷害を負わせたという事案です。
判決では、「一般に、スポーツの競技中に生じた加害行為については、それがそのスポーツのルールに著しく反することがなく、かつ通常予測され許容された動作に起因するものであるときは、そのスポーツの競技に参加した者全員がその危険を予め受忍し加害行為を承諾しているものと解するのが相当であり、このような場合加害者の行為は違法性を阻却するものというべきである」と述べた上で、本件において、スカートは練習で許容されていたと認定し、また被告が転倒することは予測されたとして、「被告の行為は違法性を阻却する」とし、「スポーツが許容された行動範囲で行われる限り、スポーツの特殊性(自他共に多少の危険が伴うこと等)から離れて過失の有無を論ずるのは適切ではない。本件の場合被告にはスポーツによる不法行為を構成するような過失はなかったともいいうる」としました。
この判決はスポーツ中のスポーツを行なっている者同士の事故の場合、加害者がルールに著しく反しない限りは一律に免責されるとするものです。
この事案について、皆さんならどのように考えるでしょうか。結論はともかく、私はその結論を導く論理に問題があると考えます。

 

4 違法性と過失について
ここで、損害賠償責任(不法行為責任)が発生するための要件について、少し説明します。
法的に損害賠償責任が生じるための要件の中には、「違法性」と「過失」があります(なお、学説の中には、違法性を要件としないとするものもあります)。
「違法性」はその有無が判断され、無ければ損害賠償責任が全く生じません(法的には、「違法性が阻却される」といいます)。
これに対して、「過失」は様々な要素を総合考慮して、その有無が判断されるとともに、加害者側の過失と被害者側の過失と比較する場面(過失相殺)でその度合い(過失割合)が考慮されます。
すなわち、違法性が阻却されるか否かの判断は、0か10かの二者択一として判断であるのに対し、過失や過失相殺の判断は、0~10の間で事案に応じて判断がなされます。

 

5 スキー事故最高裁判決
先述のママさんバレーボール事故判決は、後の裁判例に影響を与えましたが、スキーヤー同士の事故についての平成7年の最高裁判決(最判平成7.3.10判タ876・142)がこの流れを変えます。
上方から滑降してきたスキーヤーが下方を滑降していたスキーヤーに衝突した事故において、最高裁は、「スキー場において上方から滑降する者は、前方を注視し、下方を滑降している者の動静に注意して、その者との接触ないし衝突を回避することができるように速度及び進路を選択して滑走すべき注意義務を負う」とした上で、被上告人の回避可能性を検討して、「被上告人には前記注意義務を怠った過失があり、上告人が本件事故により被った損害を賠償する責任がある」としました。
本件においては、上方から滑降してきたスキーヤーは、当該ゲレンデのルールの範囲内、すなわち「許容された行動範囲で」(ママさんバレー事件判決から引用)スキーを行なっていたにもかかわらず、最高裁は違法性を阻却することなく、過失の有無を論じた上で、過失の認定を行なっています。

 

6 スキー事故最高裁判例解説(判タ876・142)
更に、この最高裁判例の解説において、「原判決(高裁判決)は、スポーツであるスキーには必然的に危険を伴い、各滑降者は危険があることを認識して滑降していること等を理由に、スキー場における規則やスキーのマナーに反しない方法で滑降していたYの不法行為責任を否定したが、スキー同様に危険を伴い、技量の異なる者が同一の道路を通行する自動車運転の場合を想定してみても、 事故につき不法行為責任を負うか否かは、あくまで民法上認められるべき注意義務違反があるか否かをもって決せられるものであって、道路交通法規等に規定された注意義務違反が直ちに民法上の注意義務違反となるものではない」としています。なお、この解説は、最高裁調査官という裁判官によるものとされており、信頼度の非常に高いものです。
この判例解説では、道路交通法規等上の注意義務違反が直ちに民法上の注意義務違反となるものではないとしています。これは、道交法に違反することと注意義務に違反することとは異なるということです。例えば道交法に反しないように車を運転していたとしても、他の車と事故を起こせば、道交法を守っていたという理由だけで完全に免責されるわけではないということになります。スポーツ中の事故についても同様で、スポーツのルールの範囲内での事故だからという理由だけで、加害者が一律に責任を負わないとするのは妥当でないと最高裁は考えていると思われます。

 

7  「ルールの範囲内か否か」の法的な意味
ここで、ルールの範囲内であったか否かという事実が、法的にどのような意味を有するのか、考えてみたいと思います。ルールの範囲内であったか否かは、ルール内免責説では当然のこととして、過失責任説でも考慮されます。ただし、その役割の大きさが異なります。
ルール内であれば違法性を阻却するというルール内免責説においては、ルールの範囲内か否かを分水嶺として、責任を0か10かの二者択一のように判断します。
これに対して、過失責任説では、ルールに従っていたか否かは、加害者側の事情として考慮されますが、責任の存否自体を決めてしまうということはありません。
以下では、ルールという概念について検討し、過失責任説においてはルールに従ったということとルールに従わなかったことがどういう意味を持つのかについて考えていきます。

 

8 ルールという概念の曖昧さ
上記のようにルール内免責説では、ルールが重要な役割を果たしますが、基準となるべき「ルール」という概念は非常に曖昧です。
多種多様なスポーツには、それぞれ異なるルールがあります。そして同じスポーツの中でも、プロが真剣勝負で行う場合のルール、レクリエーションとしてスポーツを楽しむ場合のルール、練習中におけるルール(ルールというより、練習方法における取り決めと言った方が正確かもしれません)は異なるといえます。確かに、プロスポーツにおいてはルールブックがあり、そのルールは明確ですが、レクリエーション中でなおかつ練習中の事故においてそのルールは極めて曖昧なものであり、ルールそのものの存否もはっきりとしません。
このように曖昧な概念に基づくルールに従っていたか否かによって、損害賠償責任の有無を二者択一として決するのは、妥当ではないと言わざるを得ないと思います。

 

9 ルールに従わなかったことの意味・ルールに従ったことの意味
このように曖昧といえるルールであっても、過失責任説においても、当該ルールには意味がないわけではありません。
ルールには、①勝敗を決めるためのもの(例:サッカーにおいて同点で試合時間が終了した場合にフリーキックで勝敗を決めること、ゴールに完全に入った場合に得点とすること)、②そのスポーツをスポーツたらしめているもの(例:サッカーで原則として手を使ってはいけないこと)、③危険なプレーとして禁じられているもの(例:サッカーにおいてプレイヤーにスライディングすること)などがあります。
このうち、③のルールに反した場合は、過失が認められる可能性は極めて高いといえますが、①や②のルールに反したとしても、注意義務違反が認められるか否かは事案ごとの判断になると考えられます(なお、①のルールに反する場合で事故が生じることは考えにくいとはいえ、ありえないことではありません)。
それでは反対に、過失責任説において、ルールに従っていたことの意味はどのようなものがあるでしょうか。
ルールに従っていたことは、過失がない方向、注意義務違反がない方向の要素として評価されます。従って、ルールの範囲内でプレーをしていれば、過失が認められないことで賠償責任がないと判断されることもあると考えられます。
しかし、前記最高裁解説が述べていたように、ルールに反したか否かと、注意義務に反したか否か、とは完全に一致するわけではありません。なお、同旨のことを述べた他の判例は以下のように述べています。「過失の有無は、単に競技上の規則に違反したか否かではなく、注意義務違反の有無という観点から判断すべきであり、競技規則は注意義務の内容を定めるに当たっての一つの指針となるにとどまり、規則に違反していないから過失はないとの主張は採用することができない」(東京地判H26.12.3LLI/DB L06930806)としています。

 

10  危険の引受け
前述のママさんバレーボール事故判決においては、「そのスポーツの競技に参加した者全員がその危険を予め受忍し加害行為を承諾している」とした上で違法性が阻却されるとして、「危険の引受け」を違法性阻却の根拠としています。このように違法性を阻却するとする根拠として、「危険の引受け」が挙げられることが多いといえます。
ママさんバレー事件判決が出た昭和45年ころと比べると、スポーツは広く国民に浸透し、また生涯スポーツとして子供から高齢者までスポーツを楽しめるような環境も整いつつあります。また2011年にはスポーツ基本法が制定され、スポーツが権利として認められ、スポーツの法的な地位も向上しました。さらには2020年には東京五輪を控え、益々のスポーツの興隆が予想されます。
さて、このような状況において、一般の人々がスポーツを楽しもうとする場合に、人々は傷害を負う危険を引き受けているのでしょうか。
私は、仮に被害者が危険を引き受けているとしても、当該スポーツの性質に照らして通常予測できる範囲にとどまるものと考えます。例えば、どのようなスポーツでも擦り傷などの軽傷は通常予測しているといえますが、重傷まで予測しているケースは極めて少ないといえます。
そして、そのような危険の引受けは、違法性を阻却するか否かの場面で考慮するのではなく、過失の認定の場面で過失を認めない方向の要素として考慮する、あるいは過失相殺の場面で被害者側の事情として考慮すべきだと考えます。

 

11 通常想定内免責説
ここで、通常想定できる危険の範囲内であれば違法性を阻却し、その範囲を超えた場合には違法性を阻却しないとする、ルール内免責説と過失責任説との中間的な通常想定内免責説ともいうべき考え方があります。
ラグビーに関する裁判例に同様の考え方をとったものがあり、「ラグビーの試合に出場する者は、プレーにより通常生ずる範囲の負傷については、その危険を引き受けているものとはいえ、これを超える範囲の危険を引き受けて試合に出場しているものではない」(東京地判H26.12.3LLI/DB L06930806)としています。
しかし、私は、スポーツをする人は一定程度危険を引受けているとしても、違法性阻却を検討するのではなく、過失の判断の中で検討すべきだと考えます。というのも、危険を引き受けているとする通常生ずる範囲の判断が困難なこと、きめ細やかな判断ができる過失の要素として検討すれば足りること、生じた結果から遡ってその違法性阻却の有無を判断することは結果責任に類する考え方であることから妥当でないと考えられるからです。

 

12 過失責任説の妥当性
これまで述べてきたように、過失責任説は、スポーツ中のアスリート同士の事故において、ルールに従っていたか否かを過失の判断の中で他の要素と合わせて考慮することにより、プロのアスリートからレクリエーションで運動する人々まで、試合中の事故から練習中の事故まで、多種多様なスポーツの形態に応じて、きめ細やかな判断ができる、という点で妥当だといえます。そして、そのようにきめ細やかな判断をすることは、損害の公平な分担という不法行為責任の制度趣旨にも資することになります。
これに対して、ルール内免責説は、基準とするルールという概念が極めて曖昧であること、そのような曖昧な概念によって二者択一のように責任の有無を判断することから、妥当性を欠くと考えます。

 

13 裁判例の傾向
先述したスキー事故の最高裁判例から、ルールに従っていたか否かを過失の判断の中で考慮すべきという説をとる裁判官も増えてきているものと考えます。
現に平成7年最判以来、アスリート同士の事故でルール内であったとしても違法性を阻却するとして責任を認めなかった裁判例は、私が検索した限りは見当たりません(東京地判H19.12.17LLI/DB L06235623、東京地判H26.12.3LLI/DB L06930806など)。なお、先に述べたラグビーの事案の裁判例(東京地判H26.12.3LLI/DB L06930806)は折衷的な考え方ですが、少なくともルール内免責説を採用していないことは明らかでしょう。
以上のような裁判例の傾向から、先の讀賣新聞のコメントをさせていただいたという次第なのです。

 

14 最後に
誰しもスポーツをする者は加害者になりうることを自覚した上で、スポーツ中でも、他者に怪我をさせることがないよう注意すべきです。またそのような事故に備えて保険には加入しておくべきでしょう。なお、訴訟にまで至るケースでは、加害者が保険に入っていない、あるいは保険に入っているが使わないケースが殆どです。スポーツをするときには、保険加入をしておくべき時代になっているとも言えます。
反対に、怪我をさせられ被害者となった場合には、スポーツ中の事故だからといって泣き寝入りする必要はありません。あくまで加害者に過失が認められることを前提としますが、損害賠償請求は認められる可能性があります。
一般の人たちは、スポーツマン同士で訴えるなんて、などと言った非難をするかもしれません。しかし、このような言説は、被害者の立場に立っていない言説だと言わざるを得ません。この問題についての理解が広がり、損害の公平な分担が実現することを願います。

 

 

 

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