弁護士 合田雄治郎

合田 雄治郎

私は、アスリート(スポーツ選手)を全面的にサポートするための法律事務所として、合田綜合法律事務所を設立いたしました。
アスリート特有の問題(スポーツ事故、スポンサー契約、対所属団体交渉、代表選考問題、ドーピング問題、体罰問題など)のみならず、日常生活に関わるトータルな問題(一般民事、刑事事件など)においてリーガルサービスを提供いたします。

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一般民事

スポーツ事故の被害者の方々へ ~バドミントン事故判決を踏まえて~

1  はじめに

私が訴訟代理人として一審及び控訴審を担当しましたバドミントン中のプレーヤー同士の事故について、10月29日付け讀賣新聞朝刊にコメントを掲載していただきました。この讀賣新聞の記事を契機として、さらに本件が各社により報道され、大きな話題となっています。

 

そして近時、本件以外の、私が訴訟代理人を担当しましたプレーヤー同士のスポーツ事故案件においても、被害者の損害賠償請求を認める東京高等裁判所の判決を得られました(確定。判例検索サイト掲載予定)。

 

私の考え方に対し裁判所によるお墨付きをいただいたことはとても喜ばしく思う一方で、報道における私のコメントも紙幅の関係からかなり言葉足らずとなっておりますので、ここで改めて説明を加えさせていただくと共に、スポーツ事故の被害者の方々へ向けてメッセージを送らせていただきたいと思います。

 

2 プレーヤー同士の事故

これまでスポーツ中のプレーヤー同士の事故においては、スポーツ中の事故を特別視し、スポーツ中の事故というだけで、被害者の損害賠償請求が認められないことが多かったといえます。このことが原因で、被害者が泣き寝入りをせざるをえなかった事案は相当数にのぼると考えられます。

これに対して私は、従前から、スポーツ中のプレーヤー同士の事故について、加害者に注意義務違反があれば、違法性を阻却する(違法性を無くする)ことなく、被害者の損害賠償請求が認められるべきあること主張させていただき、本欄でも述べさせていただいておりました( http://gohda-law.com/blog/?p=523 )。

私の依頼者も、何人もの弁護士に相談しても損害賠償請求は難しいと言われ、半ば諦めかけたところで、私の事務所に辿り着いた方が少なからずいらっしゃいます。

 

3 プレーヤー同士の事故における違法性阻却説

弁護士が損害賠償請求について難しいと回答する理由としては、プレーヤー同士の事故においては「著しくルールに反しない限り違法性が阻却される」(違法性阻却説)と考える法曹が少なからずおられることにあると思います( http://gohda-law.com/blog/?p=523 ママさんバレーボール事件判決 参照)。

しかし、スポーツ中の事故であっても、加害者であるプレーヤーに注意義務違反があれば、損害賠償責任を負うという、いわば当たり前の考え方が漸く裁判でも認められ始めたのです。

 

4 批判に対して 

この考え方に対し、よく聞かれる批判は、このような請求が認められるのであれば、思い切ってプレーをすることができずプレーを萎縮させる、ひいては加害者も含めたプレーヤーのスポーツをする権利やスポーツに親しむ権利を侵害する、というものです。

本当にそうでしょうか。

先ず、スポーツをする権利やスポーツに親しむ権利を主張する前に、他者を傷つけてはならない、あるいは傷つけないように注意しなければならない、ということは当然のことではないでしょうか。

そのような注意義務を前提とすれば、人を傷つければ、原則として違法となるのであり、よほどの特別な事情がない限り、違法性が阻却されることはないと考えるべきです。

次に、加害者や一般的なプレーヤーにおける思い切ってプレーできずプレーを萎縮させるという意味でのスポーツ権の侵害と、被害者における事故による全損害の負担や傷害によって被害者はプレーそのものができなくなるという意味でのスポーツ権の侵害を比べてみれば、後者の侵害が遥かに深刻で、後者のスポーツ権を優先的に保護すべきであることは明らかであると思います。

 

5 加害者のスポーツ権と被害者のスポーツ権

スポーツ権の保障について、本件の一審(東京地判H30.2.9、判例秘書L07330064、Westlaw 2018WLJPCA02096006)は、
「ルールに著しく反しない行為である以上、どのような態様によるものであってもそれによって生じた危険を競技者が全て引き受けているとはいえないことは明らかである。……ルールに著しく違反しない限り、違法性が阻却されると解することは相当ではない」
とし、
「一定の危険を伴うスポーツの競技中に事故が発生した場合に常に過失責任が問われることになれば、国民のスポーツに親しむ権利を萎縮させ、スポーツ基本法の理念にもとる結果になるから、本件については違法性が阻却されるべきである」
との加害者側の主張に対し、
「結果回避可能性が認められる場合についてまで、スポーツ競技中の事故であるからといって過失責任を否定することは、スポーツの危険性を高めることにつながりかねず、国民が安心してスポーツに親しむことを阻害する可能性がある」
としています。

 

6 判決の評価と報道について

私ごときが判決を評価するなどおこがましい限りですが、一審の判決書の上記箇所を読んだ時の感動は忘れられないものがあります。長らく我々原告側が訴えてきた主張を正面から認めてくれたからです。その意味で、一審判決は画期的な判決であり、控訴審判決に劣らない先例的価値があると思います。

そして繰り返し私が主張してきました、スポーツ中のプレーヤー同士の事故においては、原則として違法性は阻却しないとした上で、損害の公平な分担の見地から、過失割合の判断の中で様々な事情を考慮して加害者の責任について判断すべきであるという考え方が採用されたものと考えています。

控訴審においては、このような考え方を前提として、過失割合を検討したところ、被害者には過失がなく、過失相殺をすることは相当ではないとしたため、認容額は増え、より被害者救済に資する判決となっています。

ただ、報道においては、控訴審が過失相殺をしなかったことだけが大きくクローズアップされる傾向があり、このままでは過失割合の話に終始し、上記画期的判断の意義について、見失われかねないことを懸念しています。

 

7 控訴審判決書について

控訴審判決について、判決書を提供してもらえないかと多数の方々から連絡をいただいておりますが、恐らく直近に判例掲載サイトに掲載される予定ですので暫くお待ちいただけると幸いです。

なお、上記のように、控訴審判決は基本的には一審判決を踏襲した上で、過失相殺について

「損害の公平な分担の見地から、本件事故により生じた被控訴人(被害者)の損害の一部を同人に負担させるべき事情が同人側に存在すると認めるに足りる証拠も見当たらないから、過失相殺ないし過失相殺類似の法理により本件事故により生じた被控訴人の損害の一部を同人に負担させる理由はないというべき」

としています。

 

8 保険・補償制度について

先にスポーツにおけるプレーの萎縮について触れましたが、プレーの萎縮を避けて一般プレーヤーのスポーツ権を確保しつつ、被害者の救済及びそのスポーツ権を保障することをも考えるならば、保険制度や補償制度の整備について真剣に検討すべき時が来ているのではないでしょうか。
国も、スポーツ基本法において、スポーツ立国を標榜するのであれば、スポーツにおける保険制度や補償制度について、国を挙げて早急に検討・対応すべきだと強く思います。

 

9 最後に

プレーヤー同士の事故に限らず、スポーツ事故において傷害を負わされた被害者の方々へ向けて、以下の言葉を贈りたいと思います。

「決して諦めないで下さい。容易い道ではありませんが、裁判所の門戸は開いています。」

 

 

 

 

民事法上の違法と刑事法上の違法

1 日大アメフト事件に関して、数社の報道機関から取材を受けました。取材の主題は、タックルをした日大選手に、刑事責任あるいは民事責任が生じるか、というものでした。

記者の方の取材に応じる中で、「違法の相対性」や「法秩序の統一性」について、説明する必要性を痛感しました。

 

2 ある行為に関して、民事法上の責任と刑事法上の責任とが各別の手続きにより問われ、結果的に、民事法上の責任の有無と刑事法上の責任の有無とが一致しない場合があります。

このような相違は、民事法における違法の評価と刑事法における違法の評価との不一致が原因のひとつとなっていることがあります。

では、そもそも、このような違法の評価の不一致が許されるのでしょうか。

 

3 法秩序は可及的に統一的であるべきことを理由として、民事法における違法の評価と刑事法における違法の評価とは一致すべきであるべきだという主張があります。

しかし、民事法における要件・効果と刑事法における要件・効果が異なること、刑事法の補充性・謙抑性として刑罰は最後の手段として補充的に用いられるべきであることからして、違法の評価はできるだけ統一的であることが望ましいものの、民事法で違法と評価されても、刑事法では違法と評価されないこともあり得ると考えるべきです。

なお、民事法上は適法であっても、刑事法上は違法であることを認める立場もありますが、刑法の補充性、謙抑性から、少数説に止まっています。

 

4 以上に述べたことを、日大アメフト事件に関連して検討をしてみます。

実際には、日大選手は、クォーターバックに怪我をさせようとして(本人の記者会見でそのように述べています)反則行為であるタックルに及んでいるため、民事法上も刑事法上も違法であると評価され、責任を負う可能性が高いといえます。

これに対して例えば、日大選手が、クォーターバックがパスをした直後に怪我をさせる意図(故意)がなくタックルをして怪我をさせてしまった場合で、日大選手はタックルをすることを避けようと思えば避けられたケースでは、どうでしょうか。

このケースについて民事法上の責任を考えると、日大選手はパスをした直後とはいえ、ボールを持っていないクォーターバックにタックルしており、その上タックルを避けようと思えば避けられるケースであるため、違法と評価されて(違法性は阻却されず)、過失も認められ、責任を負う可能性があります。これに対して、刑事法上は、先ほど述べた刑事法の補充性、謙抑性の観点から、違法と評価されず、責任を負わない可能が高いと思われます。

このように、民事法上は違法と評価されても刑事法上は違法と評価されない場面が出てきます。

 

5 市民生活を送る上で、違法と評価される行為は、民事法上も刑事法上も統一的であることは分かりやすいですし、望ましいといえます。

しかし、民事においては殆どの場合に最終的に金銭の支払により解決されるのに対し、刑事においては懲役・禁錮(場合によっては死刑).などの重大な刑罰を科せられることを考えれば、この違法の評価の相対性はやむを得ないものといえるのではないでしょうか。

 

 

 

指導者による暴力等の不適切な行為をなくすために① 〜相談件数の増加について〜

1 本欄では、指導者による暴力、暴言、パワハラ、セクハラ等の不適切な行為(以下「暴力等不適切行為」)をなくすための方策等について、何回かに分けて考えていきたいと思います。

 

私は、(公財)日本体育協会(‪2018年4月1日からは「日本スポーツ協会」に改称されます。)における「スポーツにおける暴力行為等相談窓口」の運営に関わっていますが、そこに寄せられる暴力等不適切行為の相談件数は微増しています。

 

2 2012年に起きた大阪市立桜宮高校の男子バスケットボール部のキャプテンが指導者の暴力等不適切行為により自殺した事件、および同年に女子柔道日本代表選手が代表監督の暴力等を告発した事件を契機に、スポーツ界から暴力等不適切行為を根絶することが叫ばれ、各スポーツ団体に暴力相談窓口が設置されたり、指導者研修会における啓発活動がなされたりしました。

それにもかかわらず、相談件数が増えており、この理由等について以下で考えます。

 

3 なお、このように相談件数が増加しているからといって、暴力等不適切行為の発生件数までもが増加していると捉えることは早計だと思われます。

その理由は、私自身が指導者研修等で講師を担当した際に受講者の反応をみる限り、指導者側での意識が相当程度高まっていること、発生件数の把握は下記に述べるように容易ではなく、必ずしも相談件数が増えたからといって、発生件数が増えたとまでは言えないことにあります。

 

4  私は、相談件数の増加理由として、発生件数が増えたからというよりは、これまでなら泣き寝入りしていたであろう被害者が告発し始めたことによるものと考えます。

ちなみに、被害者が告発せずに泣き寝入りしていた原因として、以下が考えられます。

一つは、告発することで、加害者が告発者や被害者に対してより暴力等不適切行為を強めることを恐れて、被害者が告発することを躊躇うこと、もう一つは、仮に然るべき責任者、スポーツ団体、学校(以下「被告発者」)などに告発したとしても、加害者が被告発者に近いことも多く、被告発者は加害者から事情を聞いて、調査を終えてしまうことも少なくないことです。

 

5 このような、被害者が告発するためのハードルを越えて、声を上げ始めたのは、あるべき姿に近づきつつあるといえます。

しかし、様々なスポーツ団体において、相談窓口が設置され、また設置されつつあるものの、相談者から信頼される窓口がどれほどあるかといえば、まだそれほど多くないと思います。

相談者や被害者の秘密が守られ、二次被害を可及的に防止する体制、及び「相談→調査→事実認定→処分」という手続きが適正に行われる体制が整っていなければなりません。具体的な体制の構築やその問題点については回を改めて言及します。

そして、このような事後的な救済のみならず、事前に防止することも検討しなければなりません。研修会開催等による啓発を励行し、発生件数の総数を減らすことで、相談件数も減少するよう努めなければならないと考えています。上述したように、私は指導者資格を有する指導者向けの研修会の講師を務めさせていただくことも少なくないのですが、研修会に参加される殆どの指導者の意識は高いといえます。問題は、研修会に参加しようとしない有資格者、或いは参加する必要のない無資格者をどのように啓発していくかですが、資格の有無にかかわらず参加できる研修会開催を企画し、多様な人たちに周知し、参加を促すべきものと考えます。

 

次回以降もこの問題について考えていきます。

 

 

スポーツ中の事故における賠償責任について

1 はじめに
読売新聞(2017.1.13付)の朝刊社会面の記事においてコメントを述べさせていただきました。
その記事は、「サッカー事故で接触の相手が重症   賠償命令に賛否」というタイトルで、社会人サッカーの試合で、30代の男性選手の足に骨折などの重傷を負わせたとして、相手選手に約247万円の支払いを命じた判決(東京地裁2016.12)についてのものでした。その記事の中で、「最近はスポーツを楽しむ権利が重視されてきたことを背景に、ルールの範囲内でも、注意義務違反があれば賠償責任を認める傾向にある。今回はこうした流れに沿った判断だろう」とのコメントをさせていただきました。
紙幅の関係もあり、少し舌足らずなコメントになってしまいましたので、以下補足しながら、述べさせていただきたいと思います。

 

2 ルール内免責説と過失責任説
スポーツ中の事故でスポーツをしている者同士の間で事故があった場合、怪我をさせた人(加害者)は、怪我をした人(被害者)に対して損害賠償責任を負うのでしょうか。この点、大きく分けて二つの考え方があると思われます。
一つは、スポーツにおいて怪我はつきものだから、仮に怪我をしてもそれは自己責任であり、不幸にも他者に怪我をさせても、ルールの範囲内であれば、加害者は責任を負わないとする考え方です。これを以下では、「ルール内免責説(違法性阻却説)」と呼ぶことにします。
もう一つは、ルールの範囲内であったとしても、他者に怪我をさせた以上、過失があることを前提として、加害者は責任を負うとする考え方です。これを以下では、「過失責任説」と呼ぶことにします。

 

3 ママさんバレー事件判決
法曹関係者以外の一般の方々では、ルール内免責説の立場を取る人が多いように思われます。
裁判例においても、ルール内免責説に近い考え方に基づくものがあり、最初にそのような考え方を採用した裁判例で、「ママさんバレー事件判決」(東京地判昭和45.2.27判タ244・139)と呼ばれるものがあります。
ママさんバレーの練習中に、スカートを履いた被告がスパイクしようとして、後退しながらジャンプし、ボールを強打した拍子に重心を失ってよろめき、二、三歩前にのめって相手方コートに入って転倒し、自己の頸部を原告の右足膝部に衝突させ、右膝関節捻挫兼十字靭帯損傷の傷害を負わせたという事案です。
判決では、「一般に、スポーツの競技中に生じた加害行為については、それがそのスポーツのルールに著しく反することがなく、かつ通常予測され許容された動作に起因するものであるときは、そのスポーツの競技に参加した者全員がその危険を予め受忍し加害行為を承諾しているものと解するのが相当であり、このような場合加害者の行為は違法性を阻却するものというべきである」と述べた上で、本件において、スカートは練習で許容されていたと認定し、また被告が転倒することは予測されたとして、「被告の行為は違法性を阻却する」とし、「スポーツが許容された行動範囲で行われる限り、スポーツの特殊性(自他共に多少の危険が伴うこと等)から離れて過失の有無を論ずるのは適切ではない。本件の場合被告にはスポーツによる不法行為を構成するような過失はなかったともいいうる」としました。
この判決はスポーツ中のスポーツを行なっている者同士の事故の場合、加害者がルールに著しく反しない限りは一律に免責されるとするものです。
この事案について、皆さんならどのように考えるでしょうか。結論はともかく、私はその結論を導く論理に問題があると考えます。

 

4 違法性と過失について
ここで、損害賠償責任(不法行為責任)が発生するための要件について、少し説明します。
法的に損害賠償責任が生じるための要件の中には、「違法性」と「過失」があります(なお、学説の中には、違法性を要件としないとするものもあります)。
「違法性」はその有無が判断され、無ければ損害賠償責任が全く生じません(法的には、「違法性が阻却される」といいます)。
これに対して、「過失」は様々な要素を総合考慮して、その有無が判断されるとともに、加害者側の過失と被害者側の過失と比較する場面(過失相殺)でその度合い(過失割合)が考慮されます。
すなわち、違法性が阻却されるか否かの判断は、0か10かの二者択一として判断であるのに対し、過失や過失相殺の判断は、0~10の間で事案に応じて判断がなされます。

 

5 スキー事故最高裁判決
先述のママさんバレー事件判決は、後の裁判例に影響を与えましたが、スキーヤー同士の事故についての平成7年の最高裁判決(最判平成7.3.10判タ876・142)がこの流れを変えます。
上方から滑降してきたスキーヤーが下方を滑降していたスキーヤーに衝突した事故において、最高裁は、「スキー場において上方から滑降する者は、前方を注視し、下方を滑降している者の動静に注意して、その者との接触ないし衝突を回避することができるように速度及び進路を選択して滑走すべき注意義務を負う」とした上で、被上告人の回避可能性を検討して、「被上告人には前記注意義務を怠った過失があり、上告人が本件事故により被った損害を賠償する責任がある」としました。
本件においては、上方から滑降してきたスキーヤーは、当該ゲレンデのルールの範囲内、すなわち「許容された行動範囲で」(ママさんバレー事件判決から引用)スキーを行なっていたにもかかわらず、最高裁は違法性を阻却することなく、過失の有無を論じた上で、過失の認定を行なっています。

 

6 スキー事故最判調査官解説
更に、この最高裁判例の解説において、「原判決(高裁判決)は、スポーツであるスキーには必然的に危険を伴い、各滑降者は危険があることを認識して滑降していること等を理由に、スキー場における規則やスキーのマナーに反しない方法で滑降していたYの不法行為責任を否定したが、スキー同様に危険を伴い、技量の異なる者が同一の道路を通行する自動車運転の場合を想定してみても、 事故につき不法行為責任を負うか否かは、あくまで民法上認められるべき注意義務違反があるか否かをもって決せられるものであって、道路交通法規等に規定された注意義務違反が直ちに民法上の注意義務違反となるものではない」としています。なお、この解説は、最高裁調査官という裁判官によるもので、信頼度の非常に高いものです。
この判例解説では、道路交通法規等上の注意義務違反が直ちに民法上の注意義務違反となるものではないとしています。これは、道交法に違反することと注意義務に違反することとは異なるということです。例えば道交法に反しないように車を運転していたとしても、他の車と事故を起こせば、道交法を守っていたという理由だけで完全に免責されるわけではないということになります。スポーツ中の事故についても同様で、スポーツのルールの範囲内での事故だからという理由だけで、加害者が一律に責任を負わないとするのは妥当でないと最高裁は考えていると思われます。

 

7  「ルールの範囲内か否か」の法的な意味
ここで、ルールの範囲内であったか否かという事実が、法的にどのような意味を有するのか、考えてみたいと思います。ルールの範囲内であったか否かは、ルール内免責説では当然のこととして、過失責任説でも考慮されます。ただし、その役割の大きさが異なります。
ルール内であれば違法性を阻却するというルール内免責説においては、ルールの範囲内か否かを分水嶺として、責任を0か10かの二者択一のように判断します。
これに対して、過失責任説では、ルールに従っていたか否かは、加害者側の事情として考慮されますが、責任の存否自体を決めてしまうということはありません。
以下では、ルールという概念について検討し、過失責任説においてはルールに従ったということとルールに従わなかったことがどういう意味を持つのかについて考えていきます。

 

8 ルールという概念の曖昧さ
上記のようにルール内免責説では、ルールが重要な役割を果たしますが、基準となるべき「ルール」という概念は非常に曖昧です。
多種多様なスポーツには、それぞれ異なるルールがあります。そして同じスポーツの中でも、プロが真剣勝負で行う場合のルール、レクリエーションとしてスポーツを楽しむ場合のルール、練習中におけるルール(ルールというより、練習方法における取り決めと言った方が正確かもしれません)は異なるといえます。確かに、プロスポーツにおいてはルールブックがあり、そのルールは明確ですが、レクリエーション中でなおかつ練習中の事故においてそのルールは極めて曖昧なものであり、ルールそのものの存否もはっきりとしません。
このように曖昧な概念に基づくルールに従っていたか否かによって、損害賠償責任の有無を二者択一として決するのは、妥当ではないと言わざるを得ないと思います。

 

9 ルールに従わなかったことの意味・ルールに従ったことの意味
このように曖昧といえるルールであっても、過失責任説においても、当該ルールには意味がないわけではありません。
ルールには、①勝敗を決めるためのもの(例:サッカーにおいて同点で試合時間が終了した場合にフリーキックで勝敗を決めること、ゴールに完全に入った場合に得点とすること)、②そのスポーツをスポーツたらしめているもの(例:サッカーで原則として手を使ってはいけないこと)、③危険なプレーとして禁じられているもの(例:サッカーにおいてプレイヤーにスライディングすること)などがあります。
このうち、③のルールに反した場合は、過失が認められる可能性は極めて高いといえますが、①や②のルールに反したとしても、注意義務違反が認められるか否かは事案ごとの判断になると考えられます(なお、①のルールに反する場合で事故が生じることは考えにくいとはいえ、ありえないことではありません)。
それでは反対に、過失責任説において、ルールに従っていたことの意味はどのようなものがあるでしょうか。
ルールに従っていたことは、過失がない方向、注意義務違反がない方向の要素として評価されます。従って、ルールの範囲内でプレーをしていれば、過失が認められないことで賠償責任がないと判断されることもあると考えられます。
しかし、前記最高裁解説が述べていたように、ルールに反したか否かと、注意義務に反したか否か、とは完全に一致するわけではありません。なお、同旨のことを述べた他の判例は以下のように述べています。「過失の有無は、単に競技上の規則に違反したか否かではなく、注意義務違反の有無という観点から判断すべきであり、競技規則は注意義務の内容を定めるに当たっての一つの指針となるにとどまり、規則に違反していないから過失はないとの主張は採用することができない」(東京地判H26.12.3LLI/DB L06930806)としています。

 

10  危険の引受け
前述のママさんバレー事件判決においては、「そのスポーツの競技に参加した者全員がその危険を予め受忍し加害行為を承諾している」とした上で違法性が阻却されるとして、「危険の引受け」を違法性阻却の根拠としています。このように違法性を阻却するとする根拠として、「危険の引受け」が挙げられることが多いといえます。
ママさんバレー事件判決が出た昭和45年ころと比べると、スポーツは広く国民に浸透し、また生涯スポーツとして子供から高齢者までスポーツを楽しめるような環境も整いつつあります。また2011年にはスポーツ基本法が制定され、スポーツが権利として認められ、スポーツの法的な地位も向上しました。さらには2020年には東京五輪を控え、益々のスポーツの興隆が予想されます。
さて、このような状況において、一般の人々がスポーツを楽しもうとする場合に、人々は傷害を負う危険を引き受けているのでしょうか。
私は、仮に被害者が危険を引き受けているとしても、当該スポーツの性質に照らして通常予測できる範囲にとどまるものと考えます。例えば、どのようなスポーツでも擦り傷などの軽傷は通常予測しているといえますが、重傷まで予測しているケースは極めて少ないといえます。
そして、そのような危険の引受けは、違法性を阻却するか否かの場面で考慮するのではなく、過失の認定の場面で過失を認めない方向の要素として考慮する、あるいは過失相殺の場面で被害者側の事情として考慮すべきだと考えます。

 

11 通常想定内免責説
ここで、通常想定できる危険の範囲内であれば違法性を阻却し、その範囲を超えた場合には違法性を阻却しないとする、ルール内免責説と過失責任説との中間的な通常想定内免責説ともいうべき考え方があります。
ラグビーに関する裁判例に同様の考え方をとったものがあり、「ラグビーの試合に出場する者は、プレーにより通常生ずる範囲の負傷については、その危険を引き受けているものとはいえ、これを超える範囲の危険を引き受けて試合に出場しているものではない」(東京地判H26.12.3LLI/DB L06930806)としています。
しかし、私は、スポーツをする人は一定程度危険を引受けているとしても、違法性阻却を検討するのではなく、過失の判断の中で検討すべきだと考えます。というのも、危険を引き受けているとする通常生ずる範囲の判断が困難なこと、きめ細やかな判断ができる過失の要素として検討すれば足りること、生じた結果から遡ってその違法性阻却の有無を判断することは結果責任に類する考え方であることから妥当でないと考えられるからです

 

12 過失責任説の妥当性
これまで述べてきたように、過失責任説は、スポーツ中のアスリート同士の事故において、ルールに従っていたか否かを過失の判断の中で他の要素と合わせて考慮することにより、プロのアスリートからレクリエーションで運動する人々まで、試合中の事故から練習中の事故まで、多種多様なスポーツの形態に応じて、きめ細やかな判断ができる、という点で妥当だといえます。そして、そのようにきめ細やかな判断をすることは、損害の公平な分担という不法行為責任の制度趣旨にも資することになります。
これに対して、ルール内免責説は、基準とするルールという概念が極めて曖昧であること、そのような曖昧な概念によって二者択一のように責任の有無を判断することから、妥当性を欠くと考えます。

 

13 裁判例の傾向
先述したスキー事故の最高裁判例から、ルールに従っていたか否かを過失の判断の中で考慮すべきという説をとる裁判官も増えてきているものと考えます。
現に平成7年最判以来、アスリート同士の事故でルール内であったとしても違法性を阻却するとして責任を認めなかった裁判例は、私が検索した限りは見当たりません(東京地判H19.12.17LLI/DB L06235623、東京地判H26.12.3LLI/DB L06930806など)。なお、先に述べたラグビーの事案の裁判例(東京地判H26.12.3LLI/DB L06930806)は折衷的な考え方ですが、少なくともルール内免責説を採用していないことは明らかでしょう。
以上のような裁判例の傾向から、先の讀賣新聞のコメントをさせていただいたという次第なのです。

 

14 最後に
誰しもスポーツをする者は加害者になりうることを自覚した上で、スポーツ中でも、他者に怪我をさせることがないよう注意すべきです。またそのような事故に備えて保険には加入しておくべきでしょう。なお、訴訟にまで至るケースでは、加害者が保険に入っていない、あるいは保険に入っているが使わないケースが殆どです。スポーツをするときには、保険加入をしておくべき時代になっているとも言えます。
反対に、怪我をさせられ被害者となった場合には、スポーツ中の事故だからといって泣き寝入りする必要はありません。あくまで加害者に過失が認められることを前提としますが、損害賠償請求は認められる可能性があります。
一般の人たちは、スポーツマン同士で訴えるなんて、などと言った非難をするかもしれません。しかし、このような言説は、被害者の立場に立っていない言説だと言わざるを得ません。この問題についての理解が広がり、損害の公平な分担が実現することを願います。

 

 

団体の不祥事調査について

1 平成27年12月、広島県の中学3年生が、過去に万引きをしていないにもかかわらず、万引きをしたとする誤った記録に基づいて進路指導を受け、これを苦に自殺したとの報道がありました。
この件では、「誤った記録に基づいて」という点に批判が集まりましたが、生徒は担当教員に対し万引きを認めた後に自殺をしたとされ、生徒がやってもいない万引きを認めたとの学校の調査や事実の認定についても疑義が呈されています。
調査という観点からすれば、前者の万引きという非行事実を誤って記録したことについて、学校側が事実関係を認めているため、調査自体はさして困難を伴いませんが、後者のような、担任教員という言わば学校側の者の言動が問題となった場合に、学校が担任教員の調査を行い、真実を突き止めることは容易ではないといえます。

2 ある団体に属する人の不祥事が疑われ、その所属団体が調査する場合、身内を庇い、調査に手心を加えたり、不祥事となる事実を確認しても批判を恐れて隠ぺいしたりすることが少なくありません。
これらのことを防ぐには、団体と利害関係のない中立性・独立性を有する第三者が調査を行えばよいということになります。
上記の広島の事件では、その後、町教育委員会が第三者委員会を設置し調査を行うと報道されています。

3 では、第三者である機関が調査すると真相が解明されるのでしょうか。
読売ジャイアンツの複数の選手が野球賭博をしていた問題では、NPB(日本野球機構)の調査委員会が調査を行いました。
ジャイアンツはNPBを構成する団体(NPB定款上は「会員」とされる)で、全く無関係の団体であるとみることは難しいものの、別法人ではあるため、ジャイアンツが自ら調査するよりは、第三者性は満たされているといえるでしょう。しかし、NPB調査委員会は、警察の強制捜査のような強制力を伴う調査をすることができず、真相解明に苦慮しているようです。
このように、第三者性が満たされれば、調査の中立性や公正さがある程度保たれ、身内の擁護や事実の隠蔽を防止することはできても、必ずしも真相の解明ができるとは限りません。

4 第三者性を満たす調査委員会に強制力を伴う調査権限を与えれば、問題は解決するのかといえば、そうではありません。
というのも、強制力を伴う調査においては、人身の自由、財産権、プライバシー権、名誉権などの人権を侵害するおそれがあるからです。
そうすると、ここで行き止まりになってしまいます。
では、どのような調査をすればよいのでしょうか。

5 私は団体内部の問題については団体内で処理すべきであり、調査についても団体自ら行うことを原則とすべきと考えます。
団体は団体自らが定めたルールに基づいて運営され、また団体内部の問題についても団体自ら対応・処理するという、いわば団体の自治を原則とし、このことは憲法上保障される結社の自由(21条)に由来します。
また、団体内の事柄は団体が最も把握しているはずで、迅速な調査が期待できます。
ただし、上記の広島の事件やNPBの調査の件で述べたことを踏まえて、(1)調査の中立性・独立性の確保、(2)団体内部にとどまらない案件の調査、(3)真相の解明という点で別途の考慮と手当てが必要となります。
(1) 調査の中立性・独立性の確保
団体自らが調査を行う場合には中立性・独立性が問題になりますが、調査委員には事件と利害関係がない者あるいは全く外部の者を任命することである程度の中立性・独立性は確保されます。そして、不祥事が疑われる事態が生じた後に事後的に対応するのでなく、予め不祥事に関する調査・処分に関するルール作りをしておくことが肝要です。

(2) 団体内部にとどまらない案件の調査
人の命にかかわるような重大案件や、案件の内容・影響が団体内部にとどまらないと判断される案件については、外部の調査機関に依頼することもやむを得ないといえます。

(3) 真相の解明
強制力を伴う調査ができないため真相解明が困難である案件については、先に述べたように人権保障が優先されるため強制力を認めることはできませんが、不祥事に関する自己申告者に対しては団体が処分を軽減すること、情報提供者が団体内で不利な処遇を受けないようにすることも検討されるべきでしょう。
前者の自己申告について、ジャイアンツの野球賭博問題では、NPB調査委員会は、実際に自己申告者に処分軽減を打ち出しましたが、これに応じて自己申告した選手はいなかったことが報じられました。強制力がない以上、自己申告者がないことはある意味仕方のないことですが、真相の解明には自己申告制度を取り入れた方がよいことは確かです。
今後は、人権侵害のおそれを伴わない真相解明の方法について、知恵を出し合っていく必要があります。

6 最後に、広島の事件の報道と同時期に、文部科学省が、学校での授業や登下校時に起きた事故などで子供が亡くなったときの対応について指針案を公表したとの報道がありました(平成28年3月3日、23日朝日新聞)。
水泳授業中の事故や、地震、津波など自然災害、給食アレルギーなどで、幼稚園児、小中学生、高校生らが死亡した場合、学校は3日間をめどに、関係する教職員から聞き取り調査をする。調査結果は遺族等に1週間をめどに報告する。遺族の要望があるか、再発防止の必要があると判断すれば、市町村教育委員会といった学校の設置者が、弁護士や学識経験者で構成する第三者委員会を立ち上げ、原因を調べて報告書をまとめるとされています。
このような重大案件の調査について指針すらなかったことが問題といえるものの、指針が作成されたことは評価すべきものと考えます。とりわけ調査やその報告の迅速性は、特筆されるべきものでしょう。

 

 

 

裁判傍聴のススメ

1 先日、私の授業を履修している中央大学法学部の学生さんと東京地裁へ裁判傍聴に行ってきました。

刑事裁判を傍聴し、その後、修習時代にお世話になった裁判官に法廷の説明などをしていただき、学生さんから裁判官への質問タイムを設けていただきました。

裁判は一回で結審したため、刑事裁判手続きの流れがよく分かるものでした。

今回、裁判傍聴が初めての学生さんはいませんでしたが、皆、目を輝かせて、裁判を傍聴し、裁判官に質問していました。

2 終了後、学生さんに感想を求めました。

実際に授業で模擬裁判を体験したことから、以前に傍聴したときよりも実感をもって裁判をみることができた。

裁判官に説明を受けたり、裁判官と直接話したりして、今まで見当もつかなかった裁判官の具体的な仕事がおぼろげながら分かった。

大多数はこの様な感想でした。

ひとり、被告人に感情的に肩入れしてしまったという学生さんがいました。

3 これを聞いてハタと気付かされました。私自身は長らくこの様な感想をもっていなかった、ということにです。

今の私は弁護士なので、どうしても弁護人の言動が気になりますし、検察官や裁判官の対応にも注目します。ところが、学生だった頃は、先の学生さんのように、被告人の人生そのものにとても興味がありました。

被告人への過度の感情移入は冷静な判断ができにくくなるということから避けなければなりません。しかし、裁判が被告人という一人の人間を裁く場である以上、その人生を理解しようとすることは、弁護人でも、検察官でも、裁判官でも必要なことだと思います。

4 また、昨今は憲法をめぐる議論が報道を賑わせていますが、裁判では憲法をはじめ法律が適用され、裁判手続きも法律・規則に則り厳格に運用されています。憲法や法律の役割を、実際の目で見て実感することができます。

そうすると私などは、憲法や法律が何のために存在するのかということを考えてみたくなります。

確実に言えることは、裁判を傍聴した人は皆、何かしら考える材料を得られるということです。

5 知らない方も意外に多いようなのですが、裁判は原則として公開の法廷で行われ、これは憲法にも規定されています。最低限のルール(騒がないとか、写真撮影をしないとかいったものです)さえ守れば、ほとんどの裁判は誰でも傍聴することができます。

傍聴したことがない方も、傍聴したことがある方も、是非とも裁判所に行って、考える材料を得てみてはいかがでしょうか。

 

 

 

スポーツ中の選手同士の事故における損害賠償

1 スポーツ中の選手同士の事故で深刻な傷害を負わされたにもかかわらず、加害者側が不誠実な態度をとったり、生じた損害の賠償をしなかったりなどということがあります。

そのような場合に、スポーツはそもそも危険が想定されている、仲間を訴えるのは気が引ける、などの理由で損害賠償請求を諦め、泣き寝入りなどしていないでしょうか。

2 確かに、ボクシングなどの殴り合うスポーツやラグビーなどの身体の接触を前提としているスポーツでは、傷害を負わされたとしても、ルールの範囲内でのプレーによるのであれば損害賠償請求は難しいかも知れません。

しかし、いくらスポーツ中の事故であっても、ルールに反するプレーによって後遺障害が残るような傷害を負わされた場合に、加害者が何も責任を負わないということは、社会通念に反すると共に、損害の公平な分担という法の理念に悖ります。

また、加害者に損害賠償請求をすることは仲間を訴えるという側面がありますが、訴訟による損害賠償請求を決意するに至る場合、大抵は加害者の不誠実な態度が大きな原因であり、そのような不誠実な態度をとる人はもはや仲間とは言えないのではないでしょうか。

3 スポーツの世界では、昨今、体罰が当たり前とされていた悪習が改まり、体罰という暴力の行使は一切許されないという流れに変わりつつあります。

同じように、スポーツ中の選手同士の事故においても、損害の賠償はされなくて当たり前などという考えを改めて、傷害を負わせた側は傷害を負った選手に対し適正な損害額を必ず賠償をしなければならないという考えを一般化すべきであると思います。

そして、このような流れを作り、安心してスポーツが楽しめるようにするためにも、ときには裁判という場できちんと主張し、認めさせていくことも必要であると考えます。

「被告」と「被告人」

1 法律相談をしていると、民事事件で訴えられて被告となった場合に、「今後、私は刑罰に処せられるのでしょうか」などと言われる方がいらっしゃいます。実際、このような誤解は少なくないと感じています。
 
 では、何故このような誤解が生じるのでしょうか。
 
 いくつか理由が考えられるでしょうが、最大の理由は、マスコミが被告と被告人を区別することなく、「被告」と呼び習わしていることにあると思います。
 
2 法律上、民事事件において、原告に訴えられた人や法人を「被告」、刑事事件において、検察に起訴された人を「被告人」といいます。
 
 ところが、裁判所から「被告〜」(〜の部分には自分の名前が入ります)と記載された民事事件の訴状が届けば、自分も新聞やテレビなどで取り沙汰される「被告」であって、この先刑罰を科せられるのではないかと不安になっても無理はないと思います。
 
 私が調べた限りでは、マスコミが何故このような表記をするのか、確たる根拠はないようです。国民に法律に対して誤解を生じさせ、混乱を招いている以上、これらの不都合の解消よりも重要な根拠がないのであれば、今すぐこれらのことは改めるべきと考えます。
 
 なお、刑事事件における被疑者(捜査機関に嫌疑をかけられて起訴されるまで)を、マスコミではほぼ同義の用語として「容疑者」と言いますが、これも法律用語ではなく、法律に対する誤解を招く要因になると思います。
 
3 本来、民法や刑法といった国民生活に関わる身近な法律は、一読してある程度の理解ができるべきものであるはずです。
 
 それにもかかわらず、それらの法律は、実際には普通の人が読んで非常に分かり辛い上に(民法については改正作業が進んでいるようです)、先に書いたようにマスコミが用語の本来の意味と異なる意味で用いたり、異なる用語を用いたりすることで、益々理解し難いものとなっています。
 
 私たち法曹も、法律や法律用語をきちんと理解し易く説明していきたいと思いますし、同時に、現行の法律については、より分かり易く改正されるように、新しい法律については、平易な文で立法されるように、関係機関に対し働きかけていくよう努めたいとも思います。
 
 
 

裁判や交渉における「思い」

弁護士は、一方の当事者である依頼者の代理人や弁護人として、当事者の間に入り、依頼者の利益のために働きます。

お金を払って弁護士に依頼する以上、「弁護士に依頼すれば後は弁護士に任せておけばよい」と考えている方も多いと思います。

これは、ある意味で当然のことと思います。

だって、そのためにお金を払っているわけですから。

そのように弁護士にお任せで首尾良くいくこともあります。

ただ、そうでないときもままあります。

裁判にしても交渉にしても、全て人と人との関わりです。

依頼者も人なら、相手方当事者も人、その代理人も人、そしてまた判断者である裁判官も人です。

しかも、そこでは、それぞれの人が真剣勝負をするのです。

裁判や交渉では、それぞれの人の剣の腕前はさることながら、最後の最後は、人の「気合」や「やる気」、すなわち「思い」が物を言うと思うのです。

もし弁護士に依頼して、望みを叶えたいのであれば、弁護士にお任せではなく、弁護士という専門家を使って、「思い」を相手方や判断者にぶつけて、響かせるようにしてはいかがでしょうか。

そうすれば、自ずと結果が伴うことも多くなるでしょうし、例え完全な形での望ましい結果が得られなくても、ある種の満足感は得られると思います。

もちろん、弁護士である私も、依頼者の「思い」を共有して、自分の「思い」をも乗せて、裁判や交渉に臨むようにしたいと思っています。

 

 

弁護士費用を相手方から取れますか。

1 弁護士をしていて、よく聞かれることの一つに「弁護士費用は相手から取れますか。」というものがあります。

 その答えは、「訴訟における請求の仕方によって異なります。ただし、弁護士費用を取れる場合でも、実際に弁護士に支払った全額を相手方から回収できることは稀です。」ということになります。

 そして、私がこのように答えると、大抵の方から、「えぇ~、そうなんですか!?」という、さも意外そうな反応が返ってきます。

2 以下で、理由を説明します。
(1) 前提として、訴訟以外の示談等で解決した場合には、弁護士費用は各自負担するのが通常です。

 そして、訴訟となった場合でも勝訴が前提となることは容易に想像がつくでしょう。

(2) 問題は「請求の仕方によって異なる」という点です。

 専門的になってしまいますが、相手方の不注意な行為などで当方に損害が生じたときにその損害の賠償を求める場合(不法行為責任)には弁護士費用を請求することができるが、相手方の契約違反の責任を追及する場合(契約責任)には請求できないと裁判所は考えています。

 わかりやすい例でいうと、前者は交通事故の被害者が加害者に損害の賠償を求める場合、後者は貸したお金を返さないためその返済を求める場合が挙げられます。

(3) そして、弁護士費用の請求が認められる場合でも、ケースにより異なりますが、認められた損害額の1割程度というのが相場のようです。

 すなわち、勝訴したとしても、実際に弁護士に支払った額と関係なく弁護士費用の額が決められることになります。

 さらには、勝訴して認められた弁護士費用より実際に支払った弁護士費用の方が高額であることが多いので、「実際に弁護士に支払った全額を相手方から回収できることは稀」という回答になります。

(4) 話は少し逸れますが、勝訴した判決に「訴訟費用は~の負担とする」という文言があったとしても、その「訴訟費用」の中には原則として弁護士費用は含まれないと解されています。

 この「訴訟費用」も誤解を生む大きな原因だと思います。

3 ……とここまでは、弁護士に聞けば誰でも答えてくれるところだと思います。

 私なりのアドバイスを差し上げるとすれば、基本的には弁護士費用は相手方から回収が難しいもので、訴訟の勝敗を別にしたコストだと考えていただくということです。

 そうなるとやはり、弁護士に依頼する時点で、コストである弁護士費用がいくらかという点が大きな関心事になるのであり、提示された金額を支払うことによって満足の得られる結果が得られるのか、という点をよく検討していただくことが必要になると思います。

 

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