指導者による暴力等の不適切な行為をなくすために④ ~「人間力なくして競技力向上なし」の本当の意味~
1 はじめに
「人間力なくして競技力向上なし」という言葉(スローガン)があります。尤もな言葉として皆さんは受け取られていることと思います。
競技力が向上すれば、人格が形成されたり、人間的に成長したりすること(以下まとめて「人間力の向上」)は、経験的に私たちが知るところだと思います。アスリートが絶え間ない努力を重ね、自らに厳しいトレーニングを課し、鍛錬の中で学びを得て、それが人間力の向上につながれば、これほど素晴らしいことはないでしょう。
ただし、私は、このスローガンについて気を付けなければならない点があると考えています。それは、指導者が、このスローガンを、人間力の向上がなければ競技力が向上しない、すなわち、人間力の向上が競技力の向上の必要条件のように考えてしまうことにあります。
2 人間力の向上が競技力の向上の必要条件か
人間力の向上が競技力の向上の必要条件かといえば、そのようなことはないと言わざるを得ないと思います。すなわち、アスリートの人間力の向上がなくても、競技力が向上することはあり得るということです。
競技力の向上に伴い人間力が向上することはよくあることで理想的なことといえますが、人間力の向上が競技力の向上の必要条件とまでは考えるべきではないのです。
そうだとすれば、このスローガンは「人間力の向上は競技力の向上につながる可能性が高い」という意味だと捉えるべきではないでしょうか。
そして、より重要であるのは、このスローガンが誰に向けられたものか、という点です。
3 指導者にとってのスローガン
たとえば、街のクラブチームの監督やコーチがこのスローガンのもと、子供たちの指導をするとします。スローガンを文字どおりに捉えれば、人間力の向上がなければ競技力が向上しないので、先ずは人間力を向上させないといけないということになります。子供たちの人間力を向上させるには、いけないことをしたら、ときに叱り、戒め、諭さなければなりません。
ところが、街のクラブチームの監督やコーチには、懲戒権がないのです( https://gohda-law.com/blog/?p=615 参照)。懲戒をせずに、子どもたちの人間力を向上させることは相当難しいことといえます。
人間力の向上は、本来、家庭において親権者が、あるいは学校において教育のプロである教員がなすべきであり、親権者でもなく、懲戒権を有しない、いわば教育の素人である第三者が、スポーツ指導において目標とすべきものではないと考えます。
それにもかかわらず、このスローガンを誤解して、人間力を向上させなければならないとして、懲戒権を有しないのに懲戒をしたり、それが行き過ぎて暴力を行使したり暴言を吐いてしまったりすることが懸念されるのです。
したがって、このスローガンは、指導者によって、指導の内容として実践されるべきものではない、すなわち指導者に向けられたものではないと私は考えます。
4 アスリートにとってのスローガン
多くの一流アスリートが語るように、真の競技力の向上には人間力の向上も必要な要素といえそうです。また、アスリートが不祥事を起こしてしまい自らのキャリアをふいにすることを防止し、現役を引退した後の人生を充実して生きるためにも、人間力の向上は必要なものでしょう。
そうだとすれば、このスローガンは、指導者によって他律的に実現されるべきものではなく、アスリートによって自律的に実現されるべきものであり、アスリートに向けられたものであるといえます。
5 まとめ
私は、このスローガンは、アスリートにとって、人間力の向上は競技力の向上につながる可能性が高いので、人間力の向上に努めましょう、という意味に捉えるべきだと考えます。
そして、指導者は、自立したアスリートの育成やスポーツを楽しめるアスリートを育てることを第一の目標としつつ、結果的にアスリートの人間力の向上があれば、それはそれで素晴らしい副次的成果が得られたと考えるべきだと思います。