クライミング
フリークライミングにおけるリボルトの法的問題について
1 はじめに
フリークライミングの歴史は登山の歴史よりも相当新しいのですが、それでも約50年が経過しています。そして、フリークライミングのスタイルは様々ありますが、大きく分けて、ロープを使ったクライミングとロープを使わないボルダリングとがあり、ロープを使ったクライミングのルートには、落ちた場合に支点となるボルトが設置されているものが多数を占めるといえます。
ところが、従前に設置されたボルトの老朽化が進んだり、あるいはボルト位置が適切でなく危険性を有するなどの理由で、それらのボルトを打ち替える(リボルト)作業が必要とされる岩場も少なくありません。ボルトは、落下の際の支点になるため、破損等したり、位置が適切でなかったりすると、落下による傷害等を防止できず、最悪の場合は死亡に至るような危険性があるため、そのような危険を有するボルトが存在する岩場では早急にリボルトを行わなければなりません。
このように、リボルトに関して、その必要性は高いにもかかわらず、看過できない法的問題があります。本稿ではこの点について考えてみたいと思います。
2 所有権絶対の原則というハードル
⑴ 所有権絶対の原則と岩場利用との関係
リボルトの問題を考える前に、そもそも、岩場に立ち入ったり、岩を登ったり、岩にボルトを打ったりするといった岩場を利用する行為が法に反しないのか、という問題があります。
所有権は、文字どおり、「物」(不動産を含みます)を所有する権利であり、所有者は、所有する「物」を自由に使用、収益、処分でき、仮に所有権を侵害されればこれを排除することができます。このような所有権に関する原則を「所有権絶対の原則」といい、所有者は所有する「物」に関して、いわば絶対的な支配権があるといえます。
そうすると、岩場の所有者は、所有権絶対の原則から、クライマーの岩場への立入りを禁ずることや岩場の利用を認める代わりに利用料をとることもできます。したがって、クライマーは、他者が所有する岩場においては、立ち入ること、岩を登ること、岩にボルトを打つことなど、いずれの行為についても所有者の同意が必要となります。しかしながら、これまでは一部の所有者の同意を得ている岩場を除いて、ほとんどの岩場では黙認によって、クライミングなどの岩場の利用がなされてきたといえます。
⑵ 自然公園内での岩場利用
このように岩場を利用するには所有者の承認を得る必要がありますが、国立公園、国定公園及び都道府県立自然公園(以下、まとめて「自然公園」(自然公園法2条1号)。定義については後述)内においては、岩場の立入りやクライミングといった利用は原則として禁じられていないと考えられます。というのも、自然公園について定めた自然公園法において、利用者の責務が3条1項に定められていることなどから同法も利用が許されることを前提と考えているといえますし、環境省が設置した「自然公園制度の在り方検討会」も自然公園の利用に関わる提言し(2020年5月)、利用が許されることを当然の前提としているからです。
よって、自然公園内の岩場の方が自然公園外の岩場よりも、いわば公のお墨付きで利用が許されているともいえ、この反射的効果として、所有権が制限され、所有権者の裁量で立入りを拒絶することは難しいと考えられます。
今回は、自然公園に指定されていない地域の岩場と比べて、利用のハードルが低いといえる自然公園内の岩場のリボルトの問題に焦点を当てたいと思います。
3 「工作物」というハードル
上述したように、リボルトとは、ボルトの老朽化等を理由として、ボルトを打ち替えることですが、このボルトやリボルトが自然公園法にどのように関わってくるのか考えます。
⑴ 国立公園及び国定公園における特別地域、海域公園地区、普通地域とは
自然公園法によれば、自然公園には、国立公園、国定公園、都道府県立自然公園があります。そして、国立公園と国定公園は、特別地域、海域公園地区と普通地域に区別されます。
「特別地域」とは、国立公園においては環境大臣、国定公園においては都道府県知事が、当該公園の風致を維持するために公園計画に基づいて指定した地域(20条1項)、「海域公園地区」とは、国立公園においては環境大臣、国定公園においては都道府県知事が、当該公園の海域の景観を維持するために公園計画に基づいてその海域内に指定した地区(22条1項)、「普通地域」とは、特別地域及び海域公園地区以外の区域(33条1項)をいいます。
現状において、海域公園地区にはクライミングのための岩場は極めて少ないので、国立公園と国定公園における特別地域と普通地域について考えます。
⑵ 工作物に関する規制
特別地域内において「工作物を新築し、改築し、又は増築する」場合には、国立公園にあっては環境大臣、国定公園にあっては都道府県知事の許可を受けなければならないとされ(20条3項1号、特別保護地区については21条3項1号)、普通地域では、「その規模が環境省令で定める基準を超える工作物を新築し、改築し、又は増築する」場合には、国立公園にあっては環境大臣、国定公園にあっては都道府県知事に届け出なければならない(33条1項1号)とされています。
すなわち、ボルトが「工作物」に該当するのか、リボルトが「工作物を新築し、改築し、又は増築すること」に該当するのかによって規制のあり方が異なることになります。なお、ボルトが「工作物」に該当すれば、リボルトは「工作物を新築し、改築し、又は増築する」に該当する可能性が高いため、以下ではボルトが「工作物」に該当するか否かによって場合を分けて考えます。
⑶ 普通地域でのリボルト
普通地域において、ボルトが、「工作物」に該当しなければリボルトについて届出は不要となり、「工作物」に該当するとしても「その規模が環境省令で定める基準を超え」(33条1項1号)なければ届出は不要といえます。
仮に、ボルトが「その規模が環境省令で定める基準を超える工作物」に該当しても、届出をすればリボルトは認められるということになるでしょう。なお、「許可」は禁止されている行為を解除することで審査にパスする必要がありますが、「届出」はその要件に従い届出をすれば足り審査はされません。
したがって、普通地域におけるリボルトは下記の特別地域と比べて法的問題が少ないといえます。
⑷ 特別地域でのリボルト
特別地域において、ボルトが、「工作物」に該当しなければリボルトについての許可は不要となりますが、「工作物」に該当するのであれば、リボルトについて、国立公園にあっては環境大臣、国定公園にあっては都道府県知事の許可を得なければならないことになります。
そして、許可のための基準については、「環境省令で定める基準」(20条4項)として自然公園法施行規則(昭和32年厚生省令第41号)11条「特別地域、特別保護地区及び海域公園地区内の行為の許可基準」があります。
なお、自然公園法及び同施行規則によれば、特別地域は、特別保護地区(法21条)、第1種特別地域、第2種特別地域、第3種特別地域(規則9条の2)に区分され、その許可基準も異なります。
⑸ ボルトが「工作物」に該当しない場合
上述のように、ボルトが、「工作物」に該当しない場合は、リボルトを行う地域が特別地域でも普通地域でも、自然公園法が求める許可や届出は不要になると考えられます。
とはいえ、クライマーが岩場に立ち入ること、クライミングをすること、リボルトをすることが、明文の法令により認められているわけではないため、大手を振ってリボルトができるわけではないことに留意する必要があります。
⑹ 都道府県立自然公園でのリボルト
都道府県立自然公園については、条例により指定された特別地域(特別地域内に利用調整地区あり)とそれ以外の地域があり、自然公園法の規制(第2章第4節)の範囲において、条例で必要な規制をすることができます(73条1項)。
したがって、都道府県立自然公園に関しては条例を確認する必要がありますが、国立公園・国定公園と同様の規制がある可能性が高いといえるでしょう。
4 おわりに
スポーツクライミングが東京2020五輪から追加競技として採用され、多くの方がスポーツクライミングの選手の活躍をご覧になったものと思います。また、2028年のロサンゼルス五輪からは正式競技として採用が決まっております。
このようなクライミングに対する認知度・関心度の高まりを契機に、これまで岩場の地権者(所有者のみならず管理者をも含めた土地に関わる権利や権限を有する者)の黙認のもと行われてきたクライミングやクライミングに関わる行為(新らたにボルトを打つ行為、リボルト等)が法的に承認されるような土壌を整え、上述したようなハードルを正面から越えていく必要があるのではないでしょうか。
先ずは、その岩場が自然公園内にあるのか、自然公園内にあるとしてどの地域や区分にあるのかを確認しなければなりません。そして、岩場に関し、自然公園の内外を問わず、行政(国や地方公共団体)、地権者及びその関係者と対話することから始める必要があるでしょう。
「日本山岳・スポーツクライミング協会の常務理事に就任して」
1 5月28日に公益社団法人 日本山岳・スポーツクライミング協会(以下、「協会」)の常務理事に就任させていただき、2ヶ月弱が経過しました。
本欄( 「フリークライミング、スポーツクライミングの国内統括団体について」 )でも書かせていただきましたように、昨年度まで、協会はスポーツクライミングの国内統括団体(National Federation、以下「NF」)であるにもかかわらず、名称にスポーツクライミングの名がなく(従前は「日本山岳協会」)、また理事会には山岳を専門とする役員ばかりでスポーツクライミングを専門とする役員が1人もいないという状況でした。
ところが、国内外のスポーツクライミングの人気を背景に、昨夏にスポーツクライミングが2020年東京五輪の追加競技となったことを契機として、スポーツクライミングのNFである協会を取り巻く環境が激変しました。この事態に対応すべく、協会は、国際連盟( International Federation of Sport Climbing )の要請に基づき、4月1日に名称を「日本山岳・スポーツクライミング協会」と変更し、また5月28日の総会において、スポーツクライミング系の役員として4名の就任が承認されました。私は、そのスポーツクライミング系の役員の1人です。
2 実際に協会の内部に入ってみると、予想どおり課題は山積していました。
協会の予算は、2015年度は約1億4000万円であり、2年後の今年度(2017年度)には約2億7000万円となり、約2倍となっています。予算の大半は、補助金や協賛金によりますが、NFの運営のための資金としては少額とは言えない額になっているにもかかわらず、決して協会の組織運営は順調とは言えない状況です。
この問題の核心は、協会が予算規模に合ったガバナンス体制が構築されていないことに尽きると感じています。先に述べたように、私はスポーツクライミング系の役員として協会に入りましたが、最重要の役割は、協会全体を見渡した上でのガバナンス体制の構築だと考えています。現在は、その役割を中心的に担うガバナンス委員会の設置について提案しており、次回理事会に諮ることになっています。
3 ガバナンス体制の構築は最優先の課題ですが、その内容は広範囲にわたるため、もう少し具体的な課題について考えてみたいと思います。
昨年9月に本欄(「スポーツクライミングの隆盛と今後の課題」 )において、①若手クライマーの啓発、②アンチ・ドーピング、③東京五輪のスポーツクライミングのルール、④NFのあり方、⑤スポーツ障害の5点について指摘させていただきました。
このうち③東京五輪におけるスポーツクライミングのルールについては、既に決定されています。更なる課題は、2024年、2028年の五輪にスポーツクライミングが五輪競技として残れるか、そして、残れた場合にはそのルールをどのようにするか(東京五輪のルールが三種目混合であり特殊であるため、現在ワールドカップで採用されている単種目ごとのルールに準拠するか等)、ということになるでしょう。
①若手クライマーの啓発、②アンチ・ドーピング、⑤スポーツ障害については、現に協会でも対策が講じられているか、あるいは、こらから講じられてようとしていますが、より一層の充実を図らなければなりません。
④NFのあり方については、本欄で、フリークライミングの両輪であるアウトドア(岩場)でのクライミングと人工壁でのクライミングを統括する団体が必要であると主張させていただきました。現状においては、協会の統括するクライミングから岩場でのフリークライミングが抜け落ちているため、今後は協会が岩場でのフリークライミングをも統括し、フリークライミングの発展に寄与すべきであると考えます。
4 私がNFの役員入りをしたことで、これまでアスリート側・クライマー側で仕事をしてきたこともあり、「魂を売りましたね」というようなことを言われることがあります。
協会入りする前からそのように言われることは十分に予想できましたが、アスリートファースト(クライマーファースト)という私の姿勢は変わりません。
ただし、アスリートファーストという言葉は多義的であり、「長い目で見ればアスリートのためである」とか、「間接的にアスリートのためである」とかいった意味でも使われます。鋭く対立する者が、双方とも、その意見の根拠としてアスリートファーストを挙げていることも見受けられます。このように、アスリートファーストという言葉は便利な言葉でもある反面、真意の伝わりにくい言葉でもあると言えます。
フリークライミング(スポーツクライミングを含む)界にとってのアスリートファースト(クライマーファースト)とは何なのか、その内容を具体的に見極めつつ、常に自問し続けていく必要があると考えています。
書類送検について
1 岐阜県の天然記念物の岩にくさびが打ち込まれたとの報道について本欄でも取り上げました(「『天然記念物の岩にくさび』報道について」)。
この続報として9月30日に、男性のクライマーが書類送検されたとの報道がなされました。
本件に関しては、最初の報道において警察が捜査を開始したことが伝えられ、その報道を契機に当該クライマーが直ぐに警察・関係機関に名乗り出たことが伝えられていました。
この「クライマーが書類送検された」との報道について考えてみたいと思います。
2 そもそも「書類送検」とはどのようなことを指すのでしょうか。
刑事訴訟法をみてみましょう。
同法246条では「司法警察員は、犯罪の捜査をしたときは、この法律に特別の定のある場合を除いては、速やかに書類及び証拠物とともに事件を検察官に送致しなければならない。但し、検察官が指定した事件については、この限りでない。」とされています。
分かりづらい法律用語が並んでいますが簡単にいうと、警察は捜査をしたなら原則として関係書類と証拠を検察官に送らなければならないということです(全件送致主義。但書の例外は微罪事件※1)。条文にある「検察官に送致すること」を略して「送検」といいます。
また、203条1項では「司法警察員は、逮捕状により被疑者を逮捕したとき、又は逮捕状により逮捕された被疑者を受け取ったときは、……被疑者が身体を拘束された時から四十八時間以内に書類及び証拠物とともにこれを検察官に送致する手続をしなければならない。」とされています。
これは被疑者(報道でいう「容疑者」※2)の身柄が拘束された身柄事件に関する条項です。なお、被疑者の身柄が拘束されない事件を在宅事件といいます。
身柄事件においては、在宅事件と比べて、身柄拘束時から送検までの時間が48時間以内とされ、関係書類・証拠と共に身柄が検察官に送致される点が異なります。
ここで大切なのは、在宅事件でも身柄事件でも捜査された場合には原則として送検されるということと、「書類送検」は厳密には法律用語ではないということです。
3 それでは、以上のことを報道する立場で考えてみましょう。
身柄事件においては、逮捕が送検の前に行われるため、逮捕の事実が報道されることが多く、その後の送致の事実を伝えられることは殆どないと言えます。逮捕は、被疑者が身柄拘束されるので、報道機関にとっては報道価値が高いといえます。これに対して、送検は、上述したように逮捕された以上は、原則として送検されるため、あまり報道価値のないことといえます。
在宅事件においては、身柄拘束の必要がない軽微な事件であることが多く、捜査は秘密裏に行われることから、送検まで報道機関としては事件の存在を把握しづらいといえます。
そこで、報道機関は、在宅事件において、身柄事件の逮捕に代わる報道価値があるものとして、送検を見出し、身柄事件の送検(関係書類、証拠、身柄)と区別して「書類送検」と称しているものと考えられます。
4 法律相談において、「私は被疑者(容疑者)として警察の捜査の対象となっているようですが、私は今後、書類送検されるのでしょうか」という質問をよく受けます。
在宅事件であれば、微罪処分として送検されないように努めることはありますが、刑事手続の流れとして被疑者として捜査がなされた以上は送検されるのはごく当たり前だという感覚の実務法曹は多いと思います。
ところが、報道では、在宅事件において「書類送検」という用語が頻繁に登場します。そうすると、一般には、「書類送検」が何か特別な意味を持つように考えている方が多いように思います。
5 今回の岐阜の天然記念物にくさび事件では、捜査が既に始められていたこと、その後直ぐに被疑者が名乗り出たことは上述したとおりです。
被疑者が名乗り出たとの報道では、氏名こそ公表されませんでしたが、その人物の特定は難しいことではないと思います。そうだとすれば、報道がなされた時点で、その程度は低いとはいえ、ある種の社会的制裁が加えられたことになります。
そして手続の流れとして被疑者として捜査された場合に送検されるのが原則であり、ごく当たり前の手続きの流れであるにもかかわらず、更に送検の報道をすることで、2度目の社会的制裁を加えることになります。
本件においては、既に被疑者について報道されていること、被疑者も事実関係を認めていること、過去に打たれたボルト(くさび)が老朽化のため危険であるから打ち替えたに過ぎないこと(少し取材すれば分かりますし、報道もなされています)からすれば、被疑者に2度も社会的制裁を加える必要など全くないと考えます。
このような報道のあり方には疑問を感じざるを得ません。
6 また、刑事手続には、無罪推定の原則があります。この原則は、被疑者や被告について、「刑事裁判で有罪が確定するまでは『罪を犯していない人』として扱わなければならない」とするもので、憲法において保障されています。
確かに、報道機関が被疑者の逮捕、勾留、送検、起訴などの報道をすることは、単に事実を報道しているだけともいえますが、日本における刑事裁判における有罪率の高さからすると、報道の受け手としては当該被疑者を限りなく黒(有罪)に近いものとして捉えがちです。
無罪推定の原則や社会的影響力の大きさからすれば、報道機関は、被疑者に関する報道では、もっと慎重であるべきです。
7 以前本欄で、報道機関が被告人を「被告」と表記して報道するために、一般人には、民事事件の被告と刑事事件の被告人との区別がつかなくなり、混乱を招いていると書きました(「『被告』と『被告人』」)。
インターネットの発達により、一般人が情報を発信できるようになったといえ、報道機関の影響力はいまだ絶大であるといえます。
報道機関は、その有する報道の自由を行使し、国民の知る権利に資するべきですが、他方で、その有する絶大な権力を自覚し、人権侵害はもとより国民に混乱を招くような報道は可及的に回避すべきものと考えます。
※1 微罪事件・微罪処分については犯罪捜査規範に下記のように規定されています。
第198条 捜査した事件について、犯罪事実が極めて軽微であり、かつ、検察官から送致の手続をとる必要がないとあらかじめ指定されたものについては、送致しないことができる。
※2 報道機関で頻繁に登場する「容疑者」という用語は、被疑者とほぼ同義といえますが、それならば何故、被疑者とせずに容疑者とするのか明らかではありません。
スポーツクライミングの隆盛と今後の課題
1 先日放映されたTV番組で、スポーツクライミングに対して張本勲さんの「アッパレ」が出ました。これまで、この番組でスポーツクライミングが何度か取り上げられましたが、いずれもキワモノ的扱いだったので、まともに取り上げられたことに少々驚いてしまいました。
2020年東京五輪での追加競技への採用を契機に、がらりと報道の姿勢が変わり、毎日のようにスポーツクライミングが取り上げられ、クライマーが報道やメディアに登場することは、珍しいことではなくなりました。ほんの2年ほど前に本欄で、「世界の大舞台で日本人クライマーが大活躍しているにもかかわらず、報道では殆ど無視されている」とぼやいたことが、遥か遠い昔のようです( 「世界で活躍する日本人クライマーと報道」 )。
2 張本さんの「アッパレ」の対象は、9月14~18日にパリで行われたスポーツクライミングの世界選手権の男子ボルダリングで楢崎智亜選手(20歳)が優勝し、金メダルを獲得したことや、女子ボルダリングでも、野中生萌選手(19歳)が2位、野口啓代選手(27歳)も3位と健闘したことでした。
世界選手権で日本人が優勝するのは初めてで、過去に優勝できる実力をもつ選手は何人もいたものの優勝を逃し続けていたため、「日本人は世界選手権で勝てない」というジンクスがあるとさえ言われていた中での快挙でした。
日本人クライマーの実力を世界に知らしめたといえるでしょう。
3 このように、スポーツクライミングを巡る環境は激変し、スポーツクライミングが発展する方向に進んでおり、喜ばしいかぎりです。
ただ、今後の課題が全くないかと言われれば、そうではありません。以下、考えられる点を列挙していきます。
(1) 若手クライマーへの啓発について
未成年のスノーボーダーが大麻を使用していた事件やバドミントンのロンドン五輪代表選手2名(26歳、21歳)の違法賭博事件など、若者のアスリートの事件や不祥事が絶えません。
若手クライマーの啓発を早急に行う必要があるでしょう。
(2) アンチドーピングについて
リオ五輪をめぐりロシアのドーピング問題が盛んに報道されましたが、アンチドーピングは世界的関心事となっています。
一度陽性反応が出て処分されてしまうとアスリートの選手生命に関わると共に、スポーツクライミングという競技に対するイメージを大きく損なうことになります。念には念を入れて、アンチドーピングに取り組まなければなりません。
(3) 東京五輪のスポーツクライミングのルールについて
2020年東京五輪における、スポーツクライミングのルールは、リード、ボルダリング、スピードの三種目の総合で順位を決めるとされていますが、その順位の決め方のルールについては未だ決まっていません。本来的なクライミングという観点からは、スピード競技の比重を他のリード競技、ボルダリング競技よりも軽くすべきとの見解もありますが、その見解が採用されるかも分かりません。
いずれにしても、早急にルールを決めて、4年後に備えて、選手が万全の準備ができるようにしなければなりません。
(4) 国内統括団体(NF)について
前回本欄 ( 「フリークライミング、スポーツクライミングの国内統括団体について 」 ) でも取り上げたので詳しくは書きませんが、スポーツクライミングのNFとフリークライミングのNFが分断されているという問題です。
岩場でのクライミング(主としてフリークライミング)と人工壁でのクライミング(主としてスポーツクライミング)を分断することなく、両者が相互に高め合うように、NFも協力・統合していく必要があると考えます。
(5) スポーツ障害について
昨今、スポーツクライミングは若年層が主役となりつつあります。そして、これら若年層のクライマーは日々ハードなトレーニングを積んでいます。クライマーのハードなトレーニングによるスポーツ障害はいまだデータがありませんが、何か対策も講じなければ、スポーツ障害が増加することは間違いのないところだといえます。
スポーツクライミングは、若年層から高齢者まで広く楽しめる生涯スポーツです。生涯にわたってスポーツクライミングを楽しめるように、スポーツ障害の予防、特に若年層のクライマーのスポーツ障害の予防に力を入れなければならないと思います。
4 今後の課題は、上に挙げた課題にとどまりませんが、関係者で協力すれば解決可能なものばかりです。これらの課題をクリアして晴れやかな気持ちで2020年を迎えたいものです。
フリークライミング、スポーツクライミングの国内統括団体について
1 スポーツクライミング(英語表記はSport Climbing)が2020年東京五輪の追加競技となりましたこと、関係者の皆様には、心よりお祝い申し上げます。
今後、選手は五輪を目標に高いモチベーションをもってトレーニングを重ね、スポーツクライミング業界は益々発展することと思います。
この大きなニュースの少し前に、スポーツクライミングの国内統括団体(National Federation 、 NF)である公益社団法人日本山岳協会(以下、「日山協」)に対して、スポーツクライミングの国際統括団体(International Federation of Sport Climbing)から、団体名にスポーツクライミングの名称を入れるように要請されたとの報道がありました。
この報道の中で、日山協の役員25人にはスポーツクライミングの専門家は一人もおらず、団体名のみならず組織改革をも迫られているとされています。
この問題について、少し考えてみたいと思います。
2 スポーツクライミングはフリークライミングの中のひとつのカテゴリーです。
フリークライミングとは、できる限り道具を使わずに行うクライミングを指し、スポーツクライミングは、フリークライミングの中でも安全性がより確保されたクライミングを指します。
スポーツクライミングには、岩場での支点が強固であるなど安全性がある程度確保されたクライミングも含まれますが、主として室内の人工壁でのクライミングを指します。
そもそも人工壁は、岩場でのクライミングのトレーニング用の壁として生まれ、発展してきました。
人工壁は、公平・公正な環境を確保するという点で岩場よりも優れているため、現在では人工壁におけるコンペティションが盛んに行われています(過去には岩場でのコンペティションもありましたが今では殆ど姿を消しています)。
そして、クライマーは、人工壁でトレーニングをしたり、コンペティションに出場したりすることで、技術や能力を高め、その高めた技術や能力をもって岩場における高難度のクライミングを実践します。
また、岩場でのクライミングで得た経験や技術は、人工壁にフィードバックされて、より高度な技術や能力を習得することに寄与します。
このことは、人工壁において行われるコンペティションにおいて表彰台に立つようなクライマーは、殆どの場合、岩場でもトップクライマーであることにも表れています。
すなわち、フリークライミングにおける、岩場でのクライミングと人工壁でのクライミングは、相互に必要不可欠な存在であり、切っても切れない関係にあることがわかります。
3 ここで日本におけるフリークライミングを統括する団体をみてみましょう。
日山協がスポーツクライミングの統括団体である他に、NPO法人日本フリークライミング協会(以下、「JFA」)があります。
JFAは、現在、役員のほぼ全員がフリークライマーであり、従前は国内コンペティションの主催運営をしてきましたが、現在ではコンペティションから手を引き、岩場の整備や岩場利用を巡る折衝等に力を入れています。
JFAは、いわばフリークライミングのうち岩場でのクライミングについて統括しているといえます。
先日、盛んに報道された天然記念物にくさびが打たれたという件で、適切に対応したのはJFAです。
なお、JFAは、法人格を取得しているものの、組織的な位置付けとしては、日山協の加盟団体である公益社団法人東京都山岳連盟の一加盟団体に過ぎません。
4 日山協がスポーツクライミングすなわち人工壁でのクライミングを統括し、JFAが岩場でのクライミングを統括している状況は、フリークライミングの両輪であるはずの岩場でのクライミングと人工壁でのクライミングが分断されていることを意味します。
このような分断が生じた経緯についてはここでは述べませんが、少なくとも、フリークライマーにとって好ましい状況といえないことは確かです。
現状における、日山協とJFAとのいびつな関係は、フリークライマーの側にも大いに責任があると思いますが、日山協とJFAが、ひとつになることも含めて将来像を描き、お互いに協力し合い、岩場・人工壁でのフリークライミングの発展のために活動をすることを強く希望します。
フリークライマー・ファーストこそが、国内統括団体の存在意義といえるのではないでしょうか。
「天然記念物の岩にくさび」報道について(2022.6.28更新)
1 岐阜県御嵩町鬼岩、石川県白峰百万貫、長野県飯田市天龍峡において、天然記念物の岩や名勝地内の岩にクライミング用のくさびが発見されたと新聞やウェブで報道がなされ、その後TV番組などでも取り上げられています。
なお、このくさびは、当初、ハーケン(主として登るための手がかりとする金具)として報道されましたが、正しくはハンガーボルト・リングボルト(主としてフリークライミングにおいて使用される墜落時の支点となる金具。以下「ボルト」)です。
2 この問題をどのように考えるべきでしょうか。
確かに、天然記念物等の岩に穴を開け、金具を設置すれば、それはやはり好ましくない行為だと評価されても仕方ないのかもしれません。
他方で、岐阜の件のように、最初にボルトが打たれてから、すでに数十年も経過しているものもあり、それはいわば管理者(文化財保護法(以下、単に「法」)119条1項によれば原則として所有者)が「大目に見てくれていた(黙認していた)」といえるかもしれません。
仮に、ボルトの設置が、天然記念物に指定された岩の「現状を変更し、又は保存に影響を及ぼす行為をして、……毀損」(法196条1項)に該当するとすれば、ボルトの設置者は、5年以下の懲役若しくは禁錮又は100万円以下の罰金に処せられる可能性があります。そして、この毀損行為を数十年にわたり放置していた管理者の管理責任(法119条1項等)を問われる可能性も出てきます。それにもかかわらず、管理者が、これまで長期間ボルトを放置していたことを考えると、ボルトの設置を、好ましいとまではいえないが、毀損ともみなしていなかったと思われます。
3 それでは、なぜこの問題が表面化したのでしょうか。
例えば、天然記念物に落書きをする者は、落書きにより自己表現をしているといえます。これに対して、ボルトを設置したクライマーは、ボルトの設置を自己表現の一手段としていないとは言い切れませんが、クライマーがその岩を登る際の墜落時に備えた支点とすることを主たる目的にしていたといえます。
そのようなボルトが設置されている以上、クライマーがその岩を登っていたはずで、大きさ数センチの数個のボルトよりもクライマーが登っている姿の方がよほど目立ち、目認しやすいはずですから、天然記念物等の岩を登ることが違法かという問題は別として、管理者や地元の人達がボルトの設置のみならずクライミングをも黙認していたことになります。
しかし、ここにきて管理者や地元の人達が声を上げ始めたというのは、それまでクライマーとの関係が悪くなかったものが、クライマー側のコミュニケーション不足などで関係が悪化し、従来は黙認されてきたボルトの設置やクライミングが、見過ごすことができないと判断され、問題が表面化したものだと推察します。
そして、岐阜の件の報道を発端として、ドミノ倒しのように全国の天然記念物等に指定された岩の管理者や地元の人達が声を上げ始めたものと考えられます。
4 ここでクライマーならお気付きかもしれませんが、この問題の本質はアクセス問題にあるといえます。
アクセス問題とは、クライマーが岩にアクセスする際に起こる岩場の使用禁止などの問題を指します。
先に述べた、管理者や地元の人達との関係の悪化こそが、今回の問題の表面化の根本にあり、地元の人達と良好な関係が持続できていれば、今回の問題は起こらなかったのではないでしょうか。
ただ現状において、今回報道された件以外にも、全国の天然記念物等の指定の岩にボルトが設置されている可能性が高く、今後もこのドミノ倒しは続く可能性があります。
これらに対しては、従前から私もアクセス問題について提案させていただいたように、あまり法律や条例を振り回すのではなく、その土地ごとにクライマーが管理者や地元の人達と良好な関係を構築する努力をし、ボルトの設置やクライミングの可否について話し合いを重ねていくべきだと考えます。
そしてそのような話し合いの中で、天然記念物等の指定の有無にかかわらず、岩場という自然が与えてくれた環境と、どのように人が関わっていくべきであるのかを模索していくことが必要であると思います。
クライマーが守るべきは、ボルトではなく、自由に岩を登るという行為そのものなのですから。
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【参考】文化財保護法
第2条 この法律で「文化財」とは、次に掲げるものをいう。
1 ④ 貝づか、古墳、都城跡、城跡、旧宅その他の遺跡で我が国にとつて歴史上又は学術上価値の高いもの、庭園、橋梁、峡谷、海浜、山岳その他の名勝地で我が国にとつて芸術上又は観賞上価値の高いもの並びに動物(生息地、繁殖地及び渡来地を含む。)、植物(自生地を含む。)及び地質鉱物(特異な自然の現象の生じている土地を含む。)で我が国にとつて学術上価値の高いもの(以下「記念物」という。)
第119条
1 文部科学大臣は、記念物のうち重要なものを史跡、名勝又は天然記念物(以下「史跡名勝天然記念物」と総称する。)に指定することができる。
2 文部科学大臣は、前項の規定により指定された史跡名勝天然記念物のうち特に重要なものを特別史跡、特別名勝又は特別天然記念物(以下「特別史跡名勝天然記念物」と総称する。)に指定することができる。
第119条
1 管理団体がある場合を除いて、史跡名勝天然記念物の所有者は、当該史跡名勝天然記念物の管理及び復旧に当たるものとする。
2 前項の規定により史跡名勝天然記念物の管理に当たる所有者は、当該史跡名勝天然記念物の適切な管理のため必要があるときは、第192条の2第1項に規定する文化財保存活用支援団体その他の適当な者を専ら自己に代わり当該史跡名勝天然記念物の管理の責めに任ずべき者(以下この章及び第187条第1項第3号において「管理責任者」という。)に選任することができる。この場合には、第31条第3項の規定を準用する。
第196条
1 史跡名勝天然記念物の現状を変更し、又はその保存に影響を及ぼす行為をして、これを滅失し、毀損し、又は衰亡するに至らしめた者は、5年以下の懲役若しくは禁錮又は100万円以下の罰金に処する。
2 前項に規定する者が当該史跡名勝天然記念物の所有者であるときは、2年以下の懲役若しくは禁錮又は50万円以下の罰金若しくは科料に処する。
防げる岩場での事故
1 私が岩場解禁でお手伝いさせていただいた湯河原幕岩において、昨年12月に不幸にも死亡事故が起きました。
この事故は、現場の状況からすると、以下のように起きたと考えられます。
亡くなったクライマーは、約20メートルのルートの終了点まで登りました。その後、終了点の支点リングへのロープの結び替えの際に、何らかの手違いが生じ、ハーネスにロープがきちんと結ばれていないにもかかわらず、クライマーが下降しようとロープに体重をかけたところ、ロープに確保されることなく、そのまま落下した、というものです。
2 本件は、ロープの結び替えの際に手違いが生じている可能性が極めて高いので、結び替えをしなければ、生じなかった事故といえます。
ロープの結び替えは、ロープを一旦解き、結び直す(逆の順序もあります)以上、結び忘れや結ぶ際のミスというリスクが必然的に伴います。しかし、ロープの結び替えが不要な終了点にすれば、この結び替えのリスクは避けられるものです。
3 では、なぜ、結び替えのリスクが避けられるにもかかわらず、結び替えが必要な終了点があるのでしょうか。
十数年前に私が盛んにフリークライミングをしていた頃は、どこの岩場でも、大多数の終了点には、下降用に、安全環付きカラビナや複数のカラビナ、あるいは終了点に固定されたカラビナ(以下、「残置カラビナ」)が残置され、終了点に着いても結び替える必要がありませんでした。
ところが、残置カラビナが頻繁に持ち去られ、その後、残置カラビナがないままになっているか、あるいは、持ち去りを危惧して、初めから残置カラビナを設置しない終了点が増えてきています。
すなわち、残置カラビナが持ち去られることによって、終了点に残置カラビナがなく、やむなく結び替えをしなければならない状況になっているのです。
4 残置カラビナの「持ち去り」は犯罪です。窃盗罪あるいは占有離脱物横領罪になります。しかも、この持ち去りにより、死亡事故が生じている以上、他者の生命を危うくしており、極めて悪質だといえます。
残置カラビナの持ち去りは、2人以上のパーティーの最後に登る者が、先に述べた結び替えのリスクを負いながらロープを結び替えてなされていると考えられます。パーティーの最後に登り、結び替えをする者は、ある程度の経験と技術を有していないと出来ないはずで、このような者は残置カラビナがいわば他の全てのクライマーのために残置されていることを知っているはずなのです。
そうだとすれば、間違えて回収したなどという言い訳は通用しませんし、持ち去りの悪質性はこの点においても否めません。
5 フリークライミング界では、チッピング(岩を削ったり加工したりして、ルートの質を変えてしまうこと)の問題が話題になっています。チッピングは断じて許されるものではありません。
しかし、チッピングがクライミングの倫理の問題であるのに対し、残置カラビナの持ち去りは犯罪であり明らかに違法です。残置カラビナを持ち去ってはならないことは、あまりに当然の事であるがためにさして話題にならないのでしょうが、事の重大性から再確認しなければなりません。
財布を落としても、かなりの確率で戻ってくるこの安全な国で、このようなことを言わなければならないのは残念で仕方がありませんが、改めて声を大にして啓発していく必要があります。
そして避けられる事故は、可及的に避けなければならないのであり、結び替えによる事故は、残置カラビナを持ち去らないという至極当たり前のことを守りさえすれば避けることが出来るのです。
最後に、幸いにも終了点に残置カラビナがあった場合には、残置カラビナの状態が下降に耐えうるものかの確認は、クライマーの責任として必ずなされるべきです。
代表選考について(5)
1 12月5日にJSAA(日本スポーツ仲裁機構)主催の「代表選手選考紛争をめぐる問題」と題するシンポジウムがありました。
代表選考の問題については、小欄で4回にわたって考えました(下記参照)。今回のJSAAのシンポに参加して気付いたことがありましたので、以前の考察に加えて、述べたいと思います。
2 先ず、日本水泳連盟(以下「水連」)の競泳に関する報告によれば、明確で客観的な代表選考基準を予め開示すること(基準の客観化・基準の開示)で、選手の競技能力が上がったということです。
2000年に代表選考をめぐり紛争になった千葉すずさんの問題以降、それまでの曖昧な基準を明確にして一発勝負で代表を決することにしたところ、実績のない選手はやる気を出し、ベテラン選手は危機感をもち、その結果、その後のオリンピックのメダルの数が大幅に増えたというものでした。
小欄でもアスリートを第一に考えるというアスリート・ファーストの視点から、基準の客観化・基準の開示は当然のこととして述べましたが、これはアスリートの権利保護という、ある意味で消極的な意味合いの強いものでした。しかし、この報告によって、アスリートの競技能力が向上するという、より積極的な意義が実証されたといえます。
ただし、競泳においてはタイムという客観的ものさしで明確な基準を示しうるということ、競泳が個人競技であるということに注意しなければなりません。基準の明確化・基準の開示がより積極的な意味合いを持つかは、団体競技の水球、採点競技のシンクロナイズドスイミング(団体種目もあります)や飛込みといった水連が統括する他の競技においては未だ証明されていないとのことでした。
今後の報告を待ちたいと思います。
3 もう一つは、既に報道もなされていますが、世界選手権の代表選考会議をマスコミに公開したという全日本柔道連盟(以下「全柔連」)の報告です。
以前小欄で、代表選考においては、NF(国内統括団体)の裁量を完全になくしてしまうことは現実的ではないが、裁量の幅をできるだけ狭くすべきであり、裁量権を行使した場合には、その公正性を確保するため事後的に説明する(あるいはアスリートの側から説明を求める)ようにしてはどうかとの提案をしました。
ところが、全柔連の選考過程の公開は、公正性の確保の点で、小欄の提案を上回る画期的な試みであるといえます。すなわち、NF自ら選考過程を公開することで裁量権の行使の様子がガラス張りになり、選考者はリアルタイムで慎重に裁量権を行使しなければならなくなり、NFに事後に説明責任を課すよりも公正性が担保されるものといえます。
全柔連の報告者の山下泰裕さんによれば、全柔連が選考過程を公開するに至るまで様々の反対がありご苦労もあったそうですが、公開後にはさして混乱が生じなかったとのことです。
このように、選考過程の公開は、リアルタイムで裁量権の行使の過程をガラス張りにし、裁量権の行使を慎重にさせる最良の方法のひとつとして、他の競技、特に裁量の幅が広い競技においては積極的に導入すべきものだと考えます。
【参考】
代表選考について(1)https://gohda-law.com/blog/?p=266
代表選考について(2)https://gohda-law.com/blog/?p=286
代表選考について(3)https://gohda-law.com/blog/?p=293
代表選考について(4)https://gohda-law.com/blog/?p=305
スポーツを健康・安全に楽しむためのガイドラインについて
1 報道によれば(朝日新聞 平成27年10月17日)、10月16日に、救急医学の関連学会など25団体でつくる日本蘇生協議会が、一般の人にも救急措置を呼びかけ、倒れた人が心肺停止であるかの判断に迷っている場合においても、すぐに胸骨圧迫(心臓マッサージ)を始めるよう求める指針を発表しました。
指針によれば、「倒れている人を見つけたら、119番通報を行い、直ちに心臓マッサージを開始する。周囲に人がいれば、AED(自動体外式除細動器)の手配を頼み、AEDが届いたら操作を始める。AEDを試みた後は救急隊員が到着するまで心臓マッサージを続ける。また、心臓マッサージで胸の骨が折れるなどをしても法的な責任は基本的には問われない。」とのことです。
「迷う5秒、10秒のロスをなくして救命につなげたい」と同会会長は語っています。
2 スポーツ中の事故(以下、「スポーツ事故」)についても、この指針は役立つものといえます。
すなわち、スポーツ事故等により、意識や呼吸がない人が出た場合、救急隊員が来るまでに、その場にひとりでも上記指針について知識がある人がいれば、その人の命を救うことになったり、その後の早期回復に役立ったりします。
3 スポーツ事故は可及的に防止しなければなりませんが、スポーツが人の動的な活動であるという性質上、スポーツ事故をなくすことはできません。そうであれば、予防策と平行して、不幸にしてスポーツ事故が起きてしまった場合の対処策についても検討しておく必要があります。
特に、山岳事故においては、街中とは異なり、救急隊員の到着まで相当時間を要します。その間に、その場に居合わせた人が適切な救急措置を施したならば、傷病の悪化を最小限にとどめることができるでしょう。
4 ただ、指導者などではない一般の人がスポーツ事故に遭遇した場合に、救急措置によって悪化させてしまったら法的責任を問われるのではないか、という心配が、速やかな救急措置を躊躇わせる一因となっていると考えられます。
このような心配を排除するためには、スポーツ事故の救急措置について、医師、弁護士、救急隊などの関係者が集まり、心肺停止にとどまらず、広く救急措置の必要な事故に対応できるガイドラインを作成し、一般の人に周知すべきでしょう。
そして、ガイドラインに沿って救急措置を行なったにもかかわらず、不幸にも悪化させてしまったり、二次的傷害を負わせてしまったりしても、法的責任を問われないという安心感を得てもらう必要があると思います。
5 スポーツ法の分野では、世界的にヘルス&セーフティーということが提唱されています。平たくいうと、スポーツを健康に、安全に楽しむための法的整備を行うということです。
日本においても、あらゆる人々が生涯にわたってスポーツが楽しめるよう、スポーツ事故を起こさない、そして起きてしまったスポーツ事故は最小限の被害にとどめる、という工夫をしていくべきでしょう。
現状、日本でも、上記の心肺蘇生に関するガイドラインや、熱中症や脳震盪の予防・対処に関してガイドラインが作成されていますが、ヘルス&セーフティーという観点からは、まだまだ十分とはいえません。
医療関係者(救急関係者を含む)・法曹関係者・スポーツ関係者が一堂に会し、スポーツを健康・安全に楽しむための、スポーツ事故の予防や事故後の措置をも含めた網羅的なガイドラインを作成することが急務だと考えます。
登山届提出の義務化の是非について
1 平成27年7月1日に、国会において「活動火山対策特別措置法の一部を改正する法律」(以下「改正活火山法」)が成立し、登山者等の登山届提出が努力義務とされました。
また「岐阜県北アルプス地区及び活火山地区における山岳遭難の防止に関する条例」(平成26年12月1日施行、以下「岐阜県条例」)においても、登山届提出が義務とされ、違反者に対する罰則規定が設けられています<註1>。
これらより以前の例として、「富山県登山届出条例」(昭和41年施行、以下「富山県条例」)及び「群馬県谷川岳遭難防止条例」(昭和42年施行、以下「群馬県条例」)があり、両条例とも、登山届提出を義務としており、更に提出された登山届の内容を事前にチェックするもので、未提出者や登山計画変更の勧告に従わない者に対する罰則が規定されています。
2 これら登山届提出を義務とした条例・法律は、下記の3類型に分類できます。
(1) 罰則強制・内容チェック型
これは、公的機関が登山届の提出を罰則をもって強制し、登山計画の妥当性まで判断するという強度の義務が規定された型です。先に挙げた富山県条例と群馬県条例これに当たります。
なお、この二つの条例は昭和40年代の古い条例ですが、対象を特に遭難事故の多い山岳・時期に限定していることに注目すべきでしょう。
(2) 罰則強制型
登山届の提出を罰則をもって強制するものであり、岐阜県条例がこれに該当します。
岐阜県条例は昨年制定され、新聞紙上でも議論があったところです。岐阜県条例は、登山届提出の対象となる時期について、富山県条例や群馬県条例のような限定がなく、対象となる山岳についても、ある程度広い範囲とされています。
(3) 努力義務型
登山届の提出を努力義務とするものです。努力義務は、義務として規定されていても、義務の履行を強制するための罰則規定等がないものをいいます。
改正活火山法においては、登山届の提出は努力義務とされています<註2>。
3 予てより、入山届提出の義務化は議論があったところです。
登山は、本来自由な行為であり、その規制は必要最小限度にとどめるべきであり、国や地方公共団体等(以下、「公的機関」)に届を出してお伺いをたてるような行為ではない。また、登山届を出させたからといって、山岳遭難事故防止の実効性には疑問がある。これらが、反対論者の根拠として挙げられています。
これに対して、登山届を出させることで、登山者に慎重な計画を立てることを促し、もって自らの実力を超えた無謀な登山を防止する。そして登山届の情報により迅速かつ的確な救助活動ができる。これらが賛成論者の根拠です。
さて、どう考えるべきでしょうか。
4 賛成論者のいうように、登山届を出させることは、慎重な計画立案を促し、無謀な登山を防止するという点で一定の効果が期待できます。また、登山届記載の情報が、救助の際に大きな役割を果たすことも少なくないでしょう。
また、 朝日新聞(8月10日付け)によれば、北アルプスで登山者100名(男性73名、女性27名)にアンケートをとったところ、登山届の提出義務化に賛成する登山者が実に96名(96%)もいたそうです(反対が4名)。また昨年の調査ですが、ヤマケイ登山総合研究所の同様の調査でも86%が賛成したそうです。これらの数字からは、昨年から既に登山届提出の義務化に賛成する登山者が大半を占め、今年に至って、賛成者は更に増え、殆どの登山者が登山届の提出義務化に賛成していることがうかがえます。
5 これらのことからすれば登山届の提出義務化に全面的に賛成しても良さそうなものです。しかしながら、私は、登山届提出を義務とすることはやむを得ないとしても、努力義務にとどめるべきだと考えます。
登山は、本来、自らの責任のもと、危険を引き受けた上で、思うがままに山岳を登る行為であり、「思うがままに登る」自由の中に、当然のこととして登山を計画する自由も含まれると解されるべきです。
公的機関が、予め登山届の内容をチェックして、危険だから止めさせる事ができるとすれば、それは本来的意味での登山という行為(登山の自由)を著しく侵害する規制であると考えます。登山における冒険的で偉大な登山の記録は、多かれ少なかれ、その当時の感覚からすれば無謀な行為です。公的機関による事前チェックがなされるとすれば、冒険的で偉大な登山の計画の大多数がはねられてしまい、そのような記録は生まれないと考えられます。
また、事前の登山届提出を罰則をもって強制することも、登山本来の意義を損なうものです。すなわち、本来自己責任でなすべき登山であるのに、登山届を提出しない場合には違法となり、仮に登山届を出したとしても、その後の計画の変更の蓋然性が高い場合(冒険的な登山では十二分にあり得ることです)、虚偽の内容の登山届を出したととられかねず、違法となる可能性があります。
近年、大多数の登山者の登山に対する考え方が、冒険的、あるいは先鋭的な登山から、より気楽に山岳に親しむための登山に変わってきました。そのような登山者は得てして危険や自己責任に対する意識も希薄であることから、登山届を出させることの有効性は否定できず、登山届提出の義務化の流れは止めようもありません。しかし、繰り返し述べてきたように、本来登山は、自らの責任のもと、「思うがままに登る」行為である以上、登山届提出を義務化するとしても、強制を伴わない努力義務にとどめるべきです。上記の型でいえば、(3)の努力義務型が妥当であると考えます。
最終的には、この問題は登山者の自覚にかかっています。登山はどのような低山でも生命の危険があるのであり、自らの身は自らの責任で守るべきことを認識して山に臨まなければ、たとえ登山届提出を罰則をもって強制し登山届を出させたとしても、無自覚な登山者の遭難事故が減ることはないと思います。
6 以上のように、登山届の提出義務について考える際には、単に目先のメリット、デメリットだけで判断するのではなく、登山における先達が成し遂げた偉業にも慮り、登山の本来的意義にたちかえるべきであると考えます。
<註1> 「届出をせず、又は虚偽の届出をして……登山した者は、五万円以下の過料に処する」(同条例7条)とする規定はありますが、事前の登山届の内容をチェックする規定はありません。
<註2> 改正活火山法は、法律であることから、条例と異なり全国に適用され、登山者の自由を広く規制するものといえますが、対象の火山を限定しており、御嶽山の噴火事故を教訓に制定されたことをも合わせて考えれば、妥当な法律であるといえるでしょう。